◎二十八日の画像の再検討
二十八日の画像を再検討してみたが、やはり女の右手のよう。
こういうのは、割と頻繁にあるから何とも思わぬが、気分の良いものではない。
だが、怖がらずに、きちんと向き合えば、取り立てて驚くようなことは起きない。
私の場合は、大半が「助けて欲しい」という気持ちで縋り付く。
ゆっくりお焼香をして、多少なりとも慰むまで付き合うことにした。
手のところに眼が開いているのは、「お前はこの自分が見えるのか」と私に問うている意味だと思う。
まだ実体化の途中で、いずれ右下(私の右後ろの下部)に「顔」が出る筈だった。
私の背中から腕に右手を回して、その場に留めようとしていると思う。
この神殿の前では、沢山の人々が念を送っているから、霊素(「幽界の霧」の素になるもの)の流れのようなものが出来ている。
それに従えば、いずれ執着心を解けると思う。
実際のところは「正直分からぬ」のだが、何百回も同様の経験をしていれば、何となく想像がつく。もちろん、あくまで想像であり妄想の域だ。