日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎二十八日の画像の再検討

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令和三年七月二十八日撮影

◎二十八日の画像の再検討

 二十八日の画像を再検討してみたが、やはり女の右手のよう。

 こういうのは、割と頻繁にあるから何とも思わぬが、気分の良いものではない。

 だが、怖がらずに、きちんと向き合えば、取り立てて驚くようなことは起きない。

 私の場合は、大半が「助けて欲しい」という気持ちで縋り付く。

 ゆっくりお焼香をして、多少なりとも慰むまで付き合うことにした。

 

 手のところに眼が開いているのは、「お前はこの自分が見えるのか」と私に問うている意味だと思う。

 まだ実体化の途中で、いずれ右下(私の右後ろの下部)に「顔」が出る筈だった。

 私の背中から腕に右手を回して、その場に留めようとしていると思う。

 この神殿の前では、沢山の人々が念を送っているから、霊素(「幽界の霧」の素になるもの)の流れのようなものが出来ている。

 それに従えば、いずれ執着心を解けると思う。

 

 実際のところは「正直分からぬ」のだが、何百回も同様の経験をしていれば、何となく想像がつく。もちろん、あくまで想像であり妄想の域だ。