日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎米国の1セント青銅貨

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米国の1セント青銅貨

 本を片付けていたら、外国のコインが出て来た。

 この辺、収集歴が長かったので、家のどこでも、少し配置を変えるだけでざらざらとコインが出て来る。

 大半が日本のものだが、時々、外国のコインも混じっている。

 外国旅行から帰った際に、ポケットの中にコインが残っていることが多々ある。

 小銭は銀行で両替してくれないから、もう一度同じ国に行きそこで使うか、子どもらに上げる他はない。

 親戚や友人・知人から、そういう小銭を貰い、段ボール一つ分くらい溜ったら、ビニール袋に小分けにし、1キロ五百円とか千円で売りに出す。

 こういう品は、これまでコレクションの対象ではなかったから、売り上げは基本的に寄付する。額は僅かなことが多いのだが、多少なりとも親のいない子らの助けになればよいと思う。

 

 手に取ってみることは事実上ないのだが、米国の1セントだけは別だ。

 今回は1セント貨が3枚あったので、目を凝らして点検した。

 最近、小さな文字が見えなくなっているのだが、1枚だけ194※銘のものがあった。

 さすがにドキッとする。

 1943年銘の青銅の1セント貨は、現行貨では「珍品中の珍品」だ。

 確か青銅貨は誤って作成された「二十枚くらい」しか存在しない。よって、もしこれを見付けると、市場で二千万円くらいの値が付く。

 1943年から終戦までは、物資不足により銅が使えずに、鉄で作り、亜鉛のメッキを被せた。外側が亜鉛なので、見た目が茶色っぽいのだが、自は鉄だから磁石に付く。 

 磁石に付く方には値は付かない。

 

 米国でこれが見つかったのは、せいぜい四五十年前くらいまでで、これから見つかる可能性は低い。

 むしろ、早い内に米国外に出た小銭の中に混じっている可能性は僅かにある。

 1945年には、進駐軍が日本に来ているから、米兵が持ち込んだ小銭の中に混じっている可能性が「宝くじに当たるくらいの確率で」あるかもしれん。

 よって、旅行から持ち帰った小銭よりも、「昔から家にあった」小銭の中にこの1セントがあったなら、きちんと調べてみることだ。

 

 1800年代のものなら割合見付かる。わずか百年前だから沢山ある筈だが、この1セント貨は今のデザインになって百五十年くらい経つのに、今も同じように使えるから、「年号揃え」の対象になる。

 これを集める人の数が多いので、現行の1セント貨でも五百円、一千円で売れることもある。

 「ついでだから、こいつだけは年号を揃えよう」と思ってはいるが、全然集まらない。

 

 百五十年前と言えば、日本であれば、ほとんど江戸時代だ。

 その間に物の値段はまるで変わっている。日本なら「寛永通宝を今でもお金として使っている」ということになるから、米国は変な国だと思う。

 もっとも、寛永通寶だって、戦後の昭和二十八年まで「お金として遣えた」わけだから、それほど認識に違いがあったわけではない。それまで、寛永通寶の銅一文銭は一厘(一銭の百分の一)で遣えたが、「錢」「厘」という貨幣単位が廃止されたので、必然的に消滅したということ。

 お金の価値は国の信用を前提とするから、政権が替わっても、前政権の体制を維持するのが普通だ。

 「約束を守る」ことで国の信用が生まれる。

 

 外国旅行帰りの小銭があれば、一年か二年に一回ずつ、売却して寄付金に充当しているので、寄付を宜しく。この1セントの他にも、幾つかチェックすべき貨幣とタイプがあるわけだが、そういうのは良く調べていない者でないと分からない。

 ま、外国貨から何かしらの大珍品が出たケースは、これまで一度もない。

 なお、蔵から出た日本錢からは、過去に数度お宝が出たことがある。大仰に仕舞ってある品は殆どが偽物で、希少品はつまらぬ雑銭の中にぽろんと入っている。

 

 画像の最後は、日本で見つけた裏面無しの1セントになる。

 米国ではエラー貨は土産物として売られているので、ズレ打ちだろうが裏無しだろうが、そのこと自体は珍しいものではない。

 だが、これは年号が40年台末で、まだ土産物として売られる前のものではないかと思う。

 

 1セント一枚が「二千万」と聞けば、きっとリンカーンを見る目も変わって来ると思う(W)。