日刊早坂ノボル新聞

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◎古貨幣迷宮事件簿 「銅貨の状態保存は難しい」

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金融機関の金庫に眠っていた銅貨

◎古貨幣迷宮事件簿 「銅貨の状態保存は難しい」

 ネット古銭会を開いたのは、既に三十年以上前のことだが、当時はそんなものはなく、業者の固定ページによるHPが幾つかあるだけだった。
 まだ「WWWって何?」という時代だ。

 開設の目的は「情報取集」で、自分の関心領域に関する情報を集めることが狙いだ。 

 私の関心は専ら盛岡藩で、その領域に関連した資料を持つ人に辿り着ければよいと思ったのだ。

 実際、幾人かの収集家と知り合いになり、大量の資料提供を受けた。明治時代の郷土史家から収集家の手書き資料の写本などを見せて貰うことが出来たので、投資は無駄ではなかったと言える。

 

 また、せっかくウェブを開いたのだからと、試しに「買い入れます」と掲示してみた。当時はそんな窓口がなく、業者さんの店舗まで行かずに済むことが知れると、次第に宅配便が届き始めた。

 だが99%は記念貨や近代貨だ。多い時には、毎日、段ボールで数個ずつ届いた時期がある。それが山のように積み重なったので、置き場所に困り、自分の郷里の倉庫に送った。あっという間にその倉庫の二部屋が段ボールで埋まった。

 だが、大半が近代貨の並品だ。銀貨でも銅貨でも、普通に使われた物なら山ほど残っている。そこは何千万枚と作られた大量生産品だ。

 普通品を買う人はいないから、そのまま滞貨になる。

 嫌気が差して、買い取り単価を下げたが、そもそも引き取ってくれる業者も無いので、いよいよ沢山来るようになった。さすがに閉口し、買い入れ自体を止めた。

 私が近代錢に冷淡なのは、その処理に二十年以上掛かったからで、大半を捨て値で放出した。近代錢はまったく見ないで渡すので、好きな人には有難かっただろうと思う。

 正直、「ウンザリ」だ。

 ちなみに、未選別を提供しているのに、その中から「良いのだけ拾おうとする」人が多いが、もはや失格だ(次回は良い品は渡さない)。

 一括で仕入れた品をそのまま渡しているのだから、一括で引き取るのが原則だ。

 

 だが、ウェブを開いていることで、たまに面白い話も届いた。

 近代貨の関連で言えば、地方の金融機関から「金庫の奥に近代貨があるので、引き取って欲しい」という依頼が幾度か来たのだ。こういうケースは割とあるようで、関東と東北から複数の照会があった。

 「原則として引き取りません。穴銭がある時だけ」と掲示した後だったが、状況が面白いので、担当の人に会ってみた。

 すると、あるケースでは、売り物が「五十銭銀貨一千枚以上」みたいな内容だった。

 龍と中型の二種で、3:7くらいの比率なのだが、如何せん、その枚数だ。

 もちろん、「枚単価いくら」のカウントとなる。これは当たり前で、枚数が出れば市場末端価格が下がるからだ。

 

 小判一枚が二十万だったとして、「埋蔵金が一万枚出た」とする。

 さて幾らの評価に?

 答えは「二十万×一万枚」では当然なく、「金地金に近い」ものとなる。

 一万枚を市場に出せば価格が暴落するし、状態の悪い品は引き取り手がなく、ずっと滞貨のままだ。

 実際に、状態の劣る品は鋳潰して地金にする。

 

 農協や信金の金庫に旧貨幣が眠っていたのは、ひとつの驚きだったが、袋に入ったまま年数が経過したのだろう。帳簿上は額面の金額でカウントされていただろうから、店舗として「現金化したくなる事情」が生まれたということだ。

 

 さて、銅貨の話はこれからだ。

 その時は「面白いから」という理由で銀貨を引き取ることにした。

 資料にならず、商売にもしていないが、とにかく「面白い」。

 この「面白い」というのは、仕舞われ方のことだ。布袋だったり、ロールだったりと様々な括りかたがされている。明治のロール包みを見ることは滅多にない。

 これは「どこで誰がどういう風につかったのか」を知る一端となるわけだ。

 (収集家の九割以上は「手の上の銭」しか見ないが、鑑定に際して重要なのは、背景や使われ方だと思う。)

 

 銀貨の買い取り額が予想外に高額だったのを知ると、担当者は傍目で分かるほど喜んだ。

 その時、「こっちもあるのですが」と別の袋をテーブルに出した。

 「こっちは銅貨なのですが・・・」

 私は袋の中を検めず、「銅貨の方はほとんど値が付きませんが」と伝えた。

 すると、その担当者は、続けて「こちらはオマケとして差し上げます」と言ったのだ。

 固い商売の人だけに、事前に「何が幾らで」を調べ、恐らくは業者を何軒か回って来ていたのだろう。店頭でサンプルを数枚出して見せた筈だが、店の対応も想像がつく。

 銀貨が売れたし、そもそも銅貨は買い取ってもらえない代物だ。

 袋の中は紙包みだったが、ひとまず幾らかの代金を払ったと思う。

 

 その後、十数年もその袋を開けて見ることが無かったのだが、郷里の倉庫の整理をする必要が生じたので、骨董や古民具、古銭を各々、梱包し売却した。

 さすが近代貨は大赤字だった。

 そのついでに、この金融機関から出た袋も開けてみたのだが、中はほとんど使われていない二銭や一銭だった。明治から大正にかけて、金融機関で巻かれたもののように見えた。

 製造者ロールではないが、金融機関ロールだから、本来、未使用に近い状態のものだ。

 

 本題はここからだ。

 ほとんど傷の無い状態で、金庫の奥に仕舞われていた品だが、暗く、空気の澱んだ場所に入れて置くと「それでも銅貨は錆びる」のだ。

 袋の中にあった銅貨の大半に青錆が浮いており、それなりに状態を保っていたのは、一割程度しかなかった。

 銅貨の未使用品が並年でも高額な評価をされるのは、こういう事情による。

 掲示の画像は傷ひとつ見えぬのに「並」以下の品になってしまう。幾らかきれいだった品については、十数年後に「極美品」として入札に供した。「準未」でも良いと思ったのだが、近代貨コレクターの状態評価は理解に苦しむくらい多岐に渡っている。

 正直、面倒臭いし、興味の無い者には馬鹿らしいほど細分化されている。

 値段付けが面倒なので一律「千円」としたが、下値付近で買えた人はツイていたと思う。型に珍しい品があったようで、数万円に達したものもある。

 結局、この買い取りでは、銀貨で結構な欠損が生じたのだが、それを幾らかこの銅貨が埋めてくれる格好になった。

 

 ちなみに、近代銀貨の場合、銀相場によっては、銀地金としての価値の方がかなり高くなる。

 だが、現実にはコインとしての評価ですぐに売れるのは、特年や手替わりだけだと言ってよい。(この辺はこのジャンルに全く興味が無いので、あくまで過去の経験の範囲で言うことだ。)

 かたや、銀地金として売却するには、60キロくらいからが売買の単位になるという難点がある。

 

 青銅貨は傷が少ない場合、写真撮影するとかなりきれいに写る。

 これはカメラの波長域が肉眼とは異なるためだ。青銅はすぐに茶色に変色するのだが、この色の違い自体は、状態評価への悪影響は少ない。

 たまに近代貨コレクターにもそれを知らぬ人がいるので、驚かされる。

 

注記)記憶のみによる一発殴り書きで、推敲や校正をしません。不首尾はあると思います。ブログは「ただの日記」ということで了解願います。