日刊早坂ノボル新聞

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◎前記事「敵を知らば」の追記

◎「敵を知らば」の追記

 「お迎え」二人が「片方はジャケット、もう片方はジャンパーを着ていた」という話をすると、師長は「意外だ」という反応をした。白い着物を着ているイメージがあったらしい。

 (どうやら「死神」のイメージのようだ。)

 だが、あの二人はごく普通の格好で、生きている人との違いは「周囲の景色(光)が歪んでいる」という点だ。

 上代中古の説話文学の中にも、「冥土から来た者」の描写があったりするが、例えようもなく「凄まじい」。外見は普通のオヤジたちなのだが、瞬時に「この世の者ではない」と知らされる。

 私は「来るな」「コノヤロー」と叫んだが、周囲の患者は無反応だった。

 たぶん、患者たちは私が寝ぼけていると見なしたのだろうが、まだ午後七時前で夕食の直後だった。私はベッドの上で半身を起こして居り、もちろん、この出来事の最初から最後まで覚醒していた。

 果たして、他の患者にあれが見えていたかどうか。

 

 とにかく早く見つけ、傍に来る前に『俺はお前のことを見ているぞ』と牽制する必要があるから、小さい変異も疑って掛かるきらいがある。

 縁の無い者なら、どうということもない出来事にも「これはアレが来る兆しではないか」という疑念が先に立つ。

 アレに比べると、怪談やホラー映画など、童話レベルだと思う。

 

 でもま、いずれ半分くらいの人は、アレに会う。

 (もう半分の人は、アレに向き合う前にこの世を去る。)

 仮にアレに会ったとして、その場合の対処法は、たぶん、金太郎さんの振る舞い方が参考になるのではないか。

 この世の者ならぬ存在に接すると、とてつもない恐怖を感じる。その恐怖で、体が強張るのだが、それで、相手に絡め捕られてしまう。

 恐怖心はあの世の者を利する感情だ。

 (時々、「怖がってはいけない」と書くのは、この一面があるためだ。)

 怖がらず、冷静に対峙する必要がある。

 

 となると、日頃から「あの世」を観察し、「起こり得ること」「現実には起こらぬこと」をきちんと見極めて置く心構えが必要だ。

 

 画像は既に幾度も公開したものだ。

 当初は驚いたのだが、その後も別段、何も起きない。

 他の人にもこういうことがあるので、現実には「誰の身にも日常的に起きている事態」ではないかと思う。幽霊は、自身に近しい者、自身が共感する者に寄り付き、感情を共有し増幅するのではないか。時に意図を持たぬ場合が多いようで、要は「自我を存続させようと思っている」、「生き延びようと思っている」がために、誰彼なく寄り付くのではないかと思う。

 一時の感情に左右されず、「本当の自分の心は何か」を省察する姿勢があれば、悪影響は生じず、幽霊も自ら去って行く。

 

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幽霊が人に寄り付いた状態。誰の身にも時々起きている。