日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎少しウンザリな日(605)

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令和三年十月十日撮影

◎少しウンザリな日(605

 先日、六地蔵の前でお焼香をしたら、少し気分が良くなった。

 そこで、母のご供養のために、別の六地蔵に行こうと思い、日曜の朝から支度をした。

 家を出る時に、家人が「どこに行くの?」と訊くので、「墓参り」と答えた。

 本物の墓ではないが、意味は同じだ。

 

 「埼玉西部」「六地蔵」で検索して、パッと出た電話番号でカーナビを設定し、すぐさま出発。

 行先は飯能だったが、途中はもの凄く渋滞した。

 飯能は山ひとつ向こうが青梅だから、さして混雑しないだろうと思っていたのに。

 ま、「ムーミン谷」が出来てからは、日祭日はやたら混む。コロナで少し人出が少なかったが、もう営業を再開したのだろうか。(よく知らぬので念のため。)

 飯能駅の方向に進むので、ここで気付く。「もしや観音寺では?」。

 観音寺は大きな寺で、最近、敷地の一部を発酵食品の物産センターみたいな施設に貸した。

 このため、週末や休日は、すごく混む。

 前に着くと、やはりその通りで、駐車場の前の道路に車が長く並んでいる。

 ここで「六地蔵」を諦め、山門前をスルーして、秩父方面に向かってみた。

 ところがこっちもかなりの人出だ。

 緊急事態宣言が明けて、皆が大喜びで外出したわけだ。このところは感染者が少ないから、そういう気持ちも分かる。

 ここで、秩父の札所も諦め、すごすごと帰ることにした。

 

 戻る途中で、いつもの神社の近くを通ったので、急遽、参拝することにした。

 この日はまったく予定にない行動だ。

 予定外の行動だから、気持ちに準備が無く、ただぼーっとして神殿に向かった。

 普段は、事後に検証が可能になるように、周囲の景色を数十枚撮るのだが、神殿の前だけにした。

 無難に拝んで、「この日は何かしらをした」という気分になれれば、それでよい。

 

 だが、ファインダの画像をチェックすると、何やら気配がある。

 「しまった。十月だから何時出てもおかしくないのに」

 気に関わる箇所が幾つかある。

 だが、検証出来ない素材では、確たることは言えない。

 印象を語っても仕方が無く、この日の参拝は、「想像や妄想」「気のせい」の範囲に留まる。

 追検証が出来ないのに、「私はこう感じる」を言い合っても実りは殆どない。

 それでも、次の回に気を付けるべき要素は分かったので、頭に入れて置くことにした。

 

 この数年では、今年の私自身の気配が最も悪い。

 近い将来、突然、この世を去るかもしれんが、それは「連れて行かれた」ということだ。

 そして、まだ心も魂も整っていないので、今度はコテコテの悪霊としてこの世に戻る。

 何せ、ちょっと外に出たくらいで、亡者たちが後をついて来る。

 

追記)時々記すように、「もし見間違いや錯覚であれば、何も不都合なことは生じない」が「幽霊に寄られているのに、これを否定し何も無いと見なす」ことで、共感・同化が進んでしまうかもしれぬ。寄り付かれているケースを念頭に置き、いつでも対処できるようにして置けば、悪影響を早期に取り除くことが出来る。

 こういうの(寄り付き)は特別な人に起きる時別な状態ではなく、誰の身にも時々起きている。

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