日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎例大祭は穏やかに執り行われる(610)

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令和三年十月十九日撮影

例大祭は穏やかに執り行われる(610)

 十九日はいつも通う神社の例大祭だった。

 昨年はこの日に鮮明な「あの世画像」を撮影したので、あの世解明の助けになるかもしれぬと思い、通院の帰りに参拝した。

 例年、この日は参拝客で賑わうのだが、今年は至って静かだ。

 掲示を見ると、「一般向けには感染防止のため最小限の催事に留める」由が記してある。

 今は感染者が減少しているが、これで終わったわけではなく、冬にはまた拡大すると見る方が妥当だろう。とりあえず「選挙が終わったら、また増えた」みたいな事態にならぬことだ。

 この神社の配慮は正しいと思う。

 

 このところは、割と私の周りが落ち着いて来たので、左程のことはなかろうが、「むしろその方が望ましい」。そんなことを考えつつ、神殿前で「より多くの亡者が先に進めるように」と祈願した。

 いずれは直接対面すると思う。

 最近、「灯りがぱたっと消える」みたいな不審事は減って来たが、「声」は聞こえる。

 周囲に人がいないのに、突然、「※※は※※じゃあないの?」みたいな声が響く。家人の声に似ているので、「玄関にいるのか?」と思ってしまうが、やはり誰もいない。

 ここから少し進むと、「名前」で呼び掛けられることがある。

 その事態は少し危険域で、迅速な対処が必要になる。

 

 視覚的に分かりやすい異変は、七五三に来た親子の画像だ。

 画像の七枚目がそれだが、私の顔の横に小さな「何か」が見える。

 どうやら子どもの顔が上を向いている様子だ。

 たぶん、室内の女児と思い、スルーしようとしたが、どこか違和感がある。

 そこで詳細に眺めると、女児の身体のサイズと顔の大きさのバランスがまるで取れていない。

 そこで、画像中の女児の姿を抽出してみたが、女児は帽子を被っており、マスクをしていた。

 上を向く子ども(これも女児)の顔は小さ過ぎ、かつマスクをしていないように見える。

 眼と前髪の周囲しか見えていないから、確定出来ない要素があるが、まあ、「頭が小さすぎる」のは事実だろう、少し帽子が見えているが、顔の位置とは異なる。

 また、普通の人でこれくらいの角度で顔を後ろに向けられる者は少ない。

 

 ま、こういうのは、「七五三で同じくらいの子どもが沢山来るし、この日はお祭りだから、それに誘われたのだろう」くらいに思えばよい。

 ちなみに、室内の親子を引き合いに出したが、何ら悪影響は生じないので念のため。

 そもそも、子どもの顔は室内の女児の傍ではなく私の近くにある。

 

 他は私だけの問題だ。女の影が出ているのだが、これは見せる対象が私だけ。すなわち、他者にとっては「(私の)想像や妄想」で、そういう解釈で良い。関りが無いものは「存在しない」のと同じことだ。

 この女は私が「子ども」を見ているかどうか、どう見るのかを確かめているのだろうと思う。

 こういう思考能力があるのなら、イリスの仲間だということ。

 

 「家までついて来られると、また厄介だな。ひとつがようやく終わったばかりなのに」

 そう思いつつ帰宅したが、その直後に家の中で「声」が響いたので、少し動揺した。

 だが、丁寧にこの日一日を振り返り、状況を確かめると、「特に忌み嫌うべき状況ではない」と思うに至った。

 「あの世」を観察する理由は、好奇心や探求心からではなく、「程なく自身がその世界に行くが、その時にどのように振舞うべきか」を知るところにある。

 この世には、人の眼にはよく見えぬものの、数多くの浮かばれぬ亡者(幽霊)が彷徨っている。

 無防備に死ぬと、あの亡者たちの仲間になってしまう。

 もしそこに踏み込んだら、もはや後戻りが出来ないのだから、事前に対策を練って置く必要がある。

 恐らく半分くらいの人は、あの世を実感することなく死んで行く。たぶん、お迎えも来ない。

 残り半分のうち大多数は、「死んでも存在が無くならない」、「死後にも自意識が残る」ことを知るが、しかし、その時には戻って来られない。一方通行なので、生きている者には情報がうまく伝わらない。

 そして最後のごく少数は、生きているうちから死後の世界に関りを持つ。他の者にはこの世とあの世の間を隔てる「障子」があるのだが、これが少し開いている者もいる。 

 開いているのだから、相手側に勝手に出入りされてしまう。

 先んじて対処の手立てを打たねば、煩わしくて仕方が無い。