日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎実際には色んな所に現れている

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朧気だが、うまく説明のつかぬ画像

◎実際には色んな所に現れている

 「あの世」に関わる画像については、それが鮮明なことは稀で、朧気である方が普通だ。その理由は、これまで記して来たとおり「人間の可視域の境界付近を揺れ動いているから」ということだ。

 このため、自然物や人工物が「たまたまそう見えた」のとほとんど変わらぬ方が多い。

 よって、画像以外の要素、「声がした」、「触感があった」等と併せて判断する必要がある。

 そうなると、画像だけを見てああだこうだ言っても感想を言い合う程度の意味しかない。

 画像に意味を与えるのは、「撮影者がその場に立って、自身で周囲を確認しながら撮影すること」だ。それで検証が可能になる。

 画像を眺めて、「これがあなたのお母さんで・・・」みたいなことをペラペラと語る自称霊能者がいるが、そんなのは小学生でも出来る。

 「ここに霊がいます」と言うなら、自分で撮影して出して見せることで、それが事実だという証明に近づく。

 

 もちろん、見えぬところにいることが多いのだから、存在を実証するには多大な困難を伴う。何せ眼には見えぬのだから、当たり前だ。

 カメラは人間の可視域より少し広い範囲で対象を捉えることが出来るから、画像にも残るわけだが、やはりそれでも朧気だ。

 これは、少しずつ事実を積み上げて行く外はない。

 

 あまり鮮明ではないが、考えさせられる画像を幾らか例示した。

 O町の温泉旅館は、いつも館内で女の声が聞こえる。これは私だけでなく家人にも聞こえるから、実際に響く音だ。

 時々、煙玉や人影が画像に混じるのだが、別段、名の働きかけも無いので、時々、訪れて入浴している。

 画像としては不鮮明なのだが、私は肩の後ろに人の気配を感じたから、すぐに保存した。

 

 成田空港には、旅立つ家人を送って行ったのだが、早朝の便で、空港着が午前四時前だった。構内にはほとんど人がいないのだが、椅子に座っていると、前から視線が送られて来るのを覚えた。

 「誰かが見てるなあ」

 たまたま赤外線カメラを携帯していたので、すぐに撮影したが、やはり画像に違和感がある。画像だけ見ると、「気のせい」「思い込み」の域だが、その場での「見られている」感覚が尋常ではなかった。

 これより何年か前に、「二人組のお迎え」に対面したことがあるので、二人組を見るとものすごく緊張する。

 後で気付いたが、二人組ではなく三体だった。イリス(女の悪縁)がガン見していたが、「見られている」感はコイツのせいだった。

 ま、イリスは私を「自分と同じ側」と認識するのか、これまで寄り付いて来たことはない。

 空港には日に十数万人規模の人が出入りするから、人ではない者も引き寄せる。

 

 最後のは、十年以上に渡りあの世系の画像だと思わなかったものだ。

 白い玉が写っていたが、遠方に街灯があるので、蒸気玉だと見なしていたのだ。

 だが、割と最近になり、「玉が街灯からの光の延長戦上に並んでいない」ことに気付き、右上を見ると女の顔が出ていた。

 この地は長らく空き地だったが、いつも煙玉が写ったので、集まりやすい地点だったらしい。

 

 ちなみに、これくらいは、誰のアルバムにも混じっていると思う。

 朧気だから、それと気付かない。割とはっきり写っていても、気付き難いことがあるが、それは幽霊の目的が「ひとの心との同化」で、そのための手段として「姿を似せる」ことがあるためだ。

 その場にそぐわぬ人物が混じっていても、それを認識するには、注意力がいる。

 十人で集まった筈が、ピースサインを出しているのが十一人だったりする。

 

 ちなみに、ある「あの世」記事で、「心霊写真を撮ったり、持っていたりすると、割ることが起きるかもしれぬから、お炊き上げをして貰うべき」と記してあるものがあった。

 これはすなわちこういう風に言い替えられる。

 「前科何犯の凶悪犯を撮影したり、その写真を持っていると、その犯人が悪さをするかもしれない。お炊き上げをしてご供養すべき」

 あるわけがない。画像はただの画像であって、それ以上のものではない。

 画像ではなく、その幽霊(例え話では凶悪犯)が自分と関わりがあるかどうかが問題なのであって、画像そのものではない。

 もし撮影したら、よく観察して、「自分に関わる者かどうか」を確かめ、無ければすぐに捨てればよい。気になるなら、お焼香をすればそれで良し。

 もちろん、「常に敬意を示すこと」、「弄ばぬこと」は当然だ。

 好奇心で取り扱うと、幽霊本体を刺激することになりかねない。

 あざけったりすると、それは相手にも伝わる。

 私が説明のつかぬ画像をウェブにアップする時には、「世間の者は幽界について何も知らぬ者ばかりなので、理解を深めるために公開させてください」とお焼香をする。

 時々、「拡散したり、ツイートをするのは止めて置け」と記すのは、その声が「相手にも聞こえる」場合があるから、悪縁を引き込むことになりかねぬという意味だ。

 

 幽霊は原則として怖ろしいものではないが、理屈でものを考えられぬので、いざ寄り付くと、剥がすのは容易ではない。

 きちんとルールに従って対処することが大切だ。

 だいたい、皆さんの中で「お迎え(死神に相当)」に「直接、会った」人はいない。

 幽界は原則怖ろしいところではないが、いざ対応を間違えると、人知をはるかに超えた怖ろしい仕返しが返って来る。そしてそれは何時までも続き、終わりは無い。