日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎夢の話 第999夜 母帰る

◎夢の話 第999夜 母帰る

 四日の午前四時に観た夢です。

 

 母が退院して家に戻るという。

 今の家ではなく、「昔の家の方に帰りたい」という希望なそうだ。

 「それじゃあ、きちんと掃除をして、窓にビニールを貼らんとな」

 昔住んでいたとはいえ、その家は何せ三十年以上も倉庫だった。

 あちこちガタが来ているし、隙間だって出来ている。

 水道も殆ど止めて有り、再開するにはパイプを取り換える必要がある。

 「でも、お袋の願いだから、その通りにしよう」

 何せ、二年半前にお袋が死んだ時には、「充分に尽くせた」とは言い難い。

 俺の経験と知識なら、死期を幾らか延ばすことだって出来たろうに。

 俺は「お袋に苦しんでほしくない」という一心で、お袋が弱って行く姿を黙って傍で見ていた。

 あと半年か一年ならもたせられたのではなかったか。

 そのことは今でも俺の心を苦しめる。

 

 だが、母が戻って来るなら、今度はうまくやれる。

 きっと、母の願いを叶えることが出来るだろう。

 俺は昔の家に行き、隅々まで掃除を施し、大工を入れた。

 総ては、母が安楽に過ごせる環境を整えるためだ。

 

 居住スペースの方はだいぶ直せたが、店舗の方は無理だった。

 こっちは今も物が山積みだし、特に使う宛も無いから、そのままにしておく。

 居住室とかつての事務室があれば十分だ。

 

 俺の実家は本州一の寒冷地で、昔ほどではないが、温暖化が進んだ今でもマイナス二十度近くにはなる。

 二重扉の他に、内側にビニールを張り巡らさぬと、寒くて仕方が無い。

 それに、灯油ヒーターは事業用の大型のをあちこちに置いている。

 これをがんがん燃やせば、病気がちな母でも寒さに凍えることはない。

 

 玄関のビニール張りを仕上げていると、「ピンポーン」とチャイムが鳴った。

 すぐにドアを開く。そこに立っていたのは、下の叔父だった。

 「お。オヤジさんはいるか?」

 「父は施設に入っているので、こっちには来られないのですよ。戻れるのはまだ先です。お袋の方は程なく戻って来ると思います」

 「そっか。そりゃ良かった。じゃあ、中に入らせて貰う。退院祝いに鮭の良いのを持って来た」

 「どうぞどうぞ。じきに皆が来ると思います」

 下の叔父は、二十年近く前に死んでおり、これまで殆ど戻っては来なかった。

 久々に話好きな叔父の相手を務めることになる。

 

 下の叔父が居間に向かうと、すぐに事務室の扉が開いて、上の叔父が顔を出した。

 「お。※※ちゃんか。こっちに来てたのか」

 「ええ。この家を直さねばならんですから」

 上の叔父が死んだのは、もう三十年近く前のことだから、ずいぶん久しぶりに会う。

 上の叔父も、死んでから一度も戻って来なかったから、行先に迷ってはいなかったらしい。

 「おめの好きな煮込みを作ってやろうと思ってな」

 叔父二人は双方とも馬喰だったから、牛豚のなんたるかを熟知していた。

 もつの煮込みの旨さと来たら、酒を飲まぬ小中学生でもむさぼり食うほどだ。

 「俺は叔父ちゃんの煮込みが忘れられなくて、今でも時々味のコピーを試すんですよ」

 上の叔父がニヤリと笑う。

 「俺のが一番だろ?」

 「ええ。どこのどういう有名店よりも、叔父ちゃんの煮込みが美味いですよ。何十年経ってもそれは変わらない」

 「じゃあ、今日ちゃんと見とけ」

 この叔父はマニアックで、インスタントラーメンを作るのに、具材を懇切丁寧に添え、香りづけを施したりして、とてつもなく美味いのを拵えた。

 (こだわりを持つと病的なまでにこだわるのは、俺に似てる。いや、俺の方がひと世代上の血を受け継いでいるのだ。我儘で偏屈だが、トコトンまで諦めん。)

 

 叔父二人が居間に消えると、事務室の方でガタゴトと音が響いた。

 誰かが来ていると悟り、扉を開く。

 すると、事務机のひとつに事務のサトウさんが座っていた。サトウさんの脇には、従姉が立っていて、何やら仕事の相談をしている。

 「あ。いらっしゃい」

 俺が声を掛けると二人が振り向く。

 「あれま、※※ちゃん。帰ってたの」

 従姉はこっちの店でバイトをしていたから、そのことを思い出してこの店に来たのだろう。

 「山の叔父ちゃんも来てますよ」

 従姉は上の叔父の娘で、親族はこの叔父のことを「山の叔父」と呼んでいた。下の叔父の方は「トコヤ」だ。これは下の叔父の妻(叔母)が床屋を経営していたからだ。

 

 ここで思い出す。

 「そう言えば、従姉もサトウさんもだいぶ前に死んだのだったな」

 今日はこの家に関わる者が一堂に会したわけだ。

 従姉が俺に尋ねる。

 「伯母ちゃんは?」

 「夜には戻ると思いますよ。お袋は二年半も留守にしていたから、今日は皆が集まってくれる。有難いことです」 

 すると、二人が声を合わせて言った。

 「いや。当たり前ですよ」

 

 家の中を振り返ると、応接間のドアが開いていた。

 入り口から部屋の中の長椅子が見える。

 「とりあえずお袋にはあそこに座って休んで貰おうか。二階の寝間には上がれぬだろうから、応接間の椅子をどけて布団を敷こう」

 父や兄たちも程なくこの家に来るだろう。

 ここで覚醒。

 

 登場人物には一人も「生きた人」がいなかった。

 目が覚めた瞬間、「こりゃ、俺の方が近づいているわけだ」と実感した。

 この日は病院の帰りに、煮込み用の具材を買って帰った。

 再び「山の叔父」の味に挑戦するためだ。

 専用の鉄鍋も準備してある。