


◎木曜の四文字熟語は「自業自得」
病院のエレベーターでは四文字熟語の問題が出題される。
今日の問題は「自業自得」だった。これをきっかけにして、言葉の由来やそこから想像を膨らませた話をSNS(非公開)に書いているが、この熟語では今日の記事の主旨が替わってしまう。
普段なら「こりゃ俺のことだ」となるのだが、もちろん、私のことではない。
「自業自得」は前にも出た気がしていたが、たぶん、「因果応報」の方だったのだろう。
そう言えば、昨夜、ブログやSNSに「コインすり替え」野郎の記事を記したので、当然、そっちのヤツの話だな。
この日は病棟のベッドで寝ながら考えたが、やはりコソ泥の「孫」がどうにかなるのは可哀想だ。本人には罰が当たればよいと思うが、孫ではなあ。
「それじゃあ、少しだけ呪縛を解いてやろう」
そこで、病院が終わったら、お不動さまに行き、当人以外のものへ波及しないように祈願することにした。
ところが、車で出発したのだが、五分も経たぬうちに、腹が痛くなって来た。
「おかしいな。最近は食が進まず、昨夜だってさしたる物を食べていないのに」
だが、じりじりと痛むし、お腹が下りかける。
「こいつは拙い。膵炎が出掛かっている」
そう言えば、このところ頻繁に吐き気がしていた。
急性膵炎だと、吐くわ下るわの状態になる。激痛で一歩も動けなくなる。
入院したこともあるが、道端で動けなくなり、救急病院までタクシーに乗った。
その時も「ほとんど救急車」の案件だったが、五百㍍先に病院があった。たった十分の距離にタクシーに乗った。
お腹の中のものを全部出し、脱水症状にならぬように水分を摂るのだが、それも吐くし下す。水のような便だから、お尻の括約筋で止められず、ダラダラと流れ出る。
いざ発症すると、五分と我慢出来ぬのが膵炎だ。
正直、トイレに間に合わなかったことが一度ある。
その時は、映画の『シコふんじゃった』の竹中直人のように、ケツを押さえつつ「よれて歩いた」。
この日は幸い、病院から家はすぐ近くなので何とか間に合ったが、お腹の中身が全部出た。
それから数時間ほど横になっていたが、珍しく次第に楽になった。
「入院する事態じゃなくてよかった」
ま、今でも入院しているのと大差ない。
で、ひと息つくと、そこで思い出したのが、紅葉見物の時の煙玉だ。
痛いのはぴったり「腹のあの位置」だった。
煙玉が「病気の予兆」なら、この程度では済まぬ筈だが・・・。
私の場合、これまで煙玉が体にまとわりついたケースでは、いずれも入院の事態を迎えて来た。
ここで、冒頭の言葉に戻る。
なるほど、今日の腹痛は、私を「お不動さまに行かせぬようにした」可能性がある。
既に「ズル野郎にバチが当たればよい」と、悪縁(霊)に渡してあるのだから、「もう手出しするな」ということだ。
そうなると、必然的に「紅葉見物のヤツが行った」ということだ。
実際に「仲間」になっていたのか。
これは、何が起きるのか、実際に見てみたい案件になった。
ちなみに、私自身は「祈願(呪い)を掛けていない」ので念のため。
何が起きても、その本人が招くものだ。
そうなると、たぶん、何かが起きるのは、やはり「膵臓付近」ということになるのでは。
もはや私はこの先関わることが出来ない。
仮に「あれを返しますから許して下さい」と言っても、もう変えられない。
さらに私は「アモンサイド」の者だから、答えは「なるべく一人で死ねば」となる。
これが「自業自得」で「因果応報」だ。
でも、なるべく子や孫らには触りが出ぬようにこれから祈願する。
以上は突飛な話だが、これまでの例を見ると、ただの妄想だけではないと思う。
私自身の煙玉案件が他所に移るとなると、幸か不幸か、私は「新しい病気の発症」事態からは解放される。
こういうコソ泥とか、振り込め詐欺師、メール詐欺師、それと「誰かに言われて公文書を書き換えさせた官僚」には、厳しい天罰が下るとよい。それでこの世に何がしかの正義(因果応報)がもたらされる。
「法律」の目を掻い潜ることは出来ても、「あの世」の目から逃れることは出来ない。
心を入れ替えねば、三代後には血筋が一人もいなくなる。