◎「神」に近い霊 (四年前の振り返り)
最近、四年前に伊豆を訪れた時ことを頻繁に思い出す。
この時には、眼に見えるかたちで幽霊が姿を示した。
メッセージがあったから出て来たのだろうが、果たしてそれは何だったのか。
とりわけ、この時の幽霊はかなり古い霊だった。
十日ほど前から頻繁にそれを思い出していたが、昨夜その画像を開いてみた。
通常、あの世画像は時間の経過と共に変化し、多くは薄れてしまう。
コピー画像では、やはり消えつつあったが、元画像は割合残っていた。
うち二枚には、人の顔らしき影が映っている。
そのうちのひとつが「古い霊」になる。(ちなみにもう一枚は「何かを叫ぶ男」だった。)
画像には顔の表情(の一部)だけが見えていたが、これは少なくとも七八百年以上経っているように見受けられる。アジア人のモンタージュ写真を何百人分も重ねていくと、こんな風な顔になる。
前々から感じていたことは、「これはこの地の幽霊ではない」ということだ。
地縁ではなく人、すなわち私や私の家族に関係した者だ。
前後の画像を確認すると、まず最初に「説明のつかぬ煙玉」がひとつふたつと現れ、これが一気に噴出する。それと共に人影が姿を現わす。そんな展開だ。
(煙玉が画像に現れること自体は、日常的に起きている。この場合は、もちろん、うまく説明のつかぬ煙玉に限った話だ。)
もしかすると、千年を超える前からの幽霊かも知れぬ。
そうなると、何百何千の他の霊を取り込んでいる筈だから、もはや「神」の域に入っている。
(この場合の「神」は世間一般の解釈とは少し違うので念のため。)
思い当たるあてはあるのだが、仮にメッセージがあるのなら、それは私に対してだろうから、ここから先は口外してはならないことになる。
ガラスに映る頭が、実物と同じように前を向いている画像があるが、「気のせいではない」と示すためなのか、映像の私はサングラスにマスクをしている。実物はいずれもしていない。
これはコロナ感染が始まった後の私の姿だ。では、メッセージは今に関係したものなのか。
もしかすると、今は徐々にメッセージが示すものが具現化する時機に到達しているのかもしれぬ。
気が付けば、今日二十九日は、ちょうどこの日から四年目にあたる。
言葉で示してくれると分かりよいが、あとは推測するしか方法はない。
注記)あの世に関わる画像を撮影しても、別に何か問題が生じるわけではない。常に敬意を持って接すれば、保持しようが繰り返し見ようが何も起きない。画像はただの画像だ。だが、好奇心で死者を弄んだり、面白がったりすると、画像云々とは関わりなく報復が起きる。拡散やツイートは無用のこと。
とりわけ、私や私に関わるあの世の者は、宗教家や自称霊能者のことを快く思っていない。