日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎福徳院不動尊

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令和三年十二月六日、福徳院不動尊にて撮影。

福徳院不動尊

 家人の歯医者通いの「足」になっているので、治療中は車で待たされる。

 ずっと駐車場にいるのは、さすがに飽きるので、駅前の福徳院にお参りした。

 本尊がお不動さまだし、当家にはちょうど良い。

 

 四五年前に大仏(観音さま)が出来たのだが、半年後、すぐ前にビルが建ったので、通りからその仏が見えなくなった。

 「せっかく建てたのにビルの陰になって」と思うが、元々、檀家中心の寺らしく、いつもあまり人がいない。

 

 寒くなると、いっそう「自分など、いつ死んでもおかしくない」ことを実感するが、治療で生活時間の半分が失われ、残りの半分もやりくりが大変だとなると、焦燥ばかりが募る。

 自分を宥めるには、お寺に行ったり神社に通ったりして、気を静めることが必要になっている。

 

 なるべくなら、死んだ後、この世に祟りをもたらす悪縁にならずに済むようにしたいものだ。

 なにが怖ろしいと言って、自分がきっと凶悪な存在になるかもしれんと想像することほど嫌なことはない。

 

「多くの者は自ら地獄を作る。死んだ後、そういう者たちを抱えずに済みますように」

 

 日本のローカルな場面は、どこに行っても閑散としており、ここでも駅前に人が少なかった。