◎皮が黒くなっても中は固い
バナナのことは、それが身の回りに生えていた者が詳しい。要するに熱帯亜熱帯の南国育ちの方が馴染んでいる。
その南国育ちの家人によると、「エクアドル産のバナナは皮の表面が黒くなっても中はしっかりしている」そうだ。
皮が黒いと、中がぐしゅぐしゅに柔らかくなっているイメージがあるが、アジアのバナナと南米のはそもそも種類が違うそうだ。
このため、家人は時々、エクアドル産のバナナが半値になった頃に買って来る。
「そこからが旨い」というので、少し食べたら、確かに果肉がしっかりしていた。
外面と中身が違うのは人間と同じだ。
かなり前に、日本人が揶揄される言葉に、「日本人はバナナと同じ」という言い方があった。これは「外側が黄色でも、中身は白(人)のつもり」という意味だ。
ところで、バナナは種類が沢山あって味もそれぞれ違う。
昔、フィリピンのマスバテ島を訪れた時に、「バナナが二十種類以上あること」と「味のバリエーションが多い」ことを教えて貰ったが、実際、ヨーグルト味のようなのを食べさせてくれた。
あれをもう一度食べたいが、他の地域では見たことが無い。
もはや無理だろうと思う。マニラからその島に向かうのに、片道三十時間くらいかけ、バスと船を乗り継いだ。
ちなみに、これまで幾度か書いたが、マスバテのその島には、私が「戦後初めて訪れた日本人」だった。日本軍が居た頃はあったが、それが撤収してからは、訪れる日本人がいなかったのだ。
どんなジャンル、どんな関わり方でも「最初の人」というのは、どこか響きが良い。
その島には電気が無く、裕福な一軒か二軒だけが発電機を持っていた。
バナナには様々な思い出がある。
昭和三十年台から四十年台まで、バナナは高級品だった。
私は岩手の小売商店の倅だったが、「エジコ」という藁で編んだ籠の中に入れられて、店頭の片隅に放置されていた。仕事をする間、親が見えるところに置く方が安全だから、身動きできぬ籠に入れられたわけだ。
しかし、当人にとっては苦痛だった。
猫じゃないのだから、穴に入るのは嫌だ。おまけに暑いわ、退屈だわ。
その二歳くらいの頃、店頭にはバナナの房が陳列されていたが、十数本で三千円くらいした。今の値段のおよそ十倍だ。
昔は八百屋の店頭に冷蔵庫などなかったから、一日二日で皮が黒くなる。
皮が黒くなると値下げにするわけだが、表面がすっかり黒くなった頃に、半値のそのバナナを近所の農家のオバサンたちが「こっちの方が甘い」と言って買って行った。
私は表面が黒くなったバナナを見ると、エジコの暑さ苦しさを思い出すから、あまり良い気分ではない。
だが、さすがに今では抵抗が無くなった。
バナナは実に種が入り始めた頃のが一番熟しており旨いと思う。