日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎お不動さまに会いに行く

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令和四年二月二十六日

◎お不動さまに会いに行く

 当家の主神は不動明王だ。これまで幾度も助けられている。

 と言っても夢の中の話だ。

 若い頃から同じ夢を繰り返し観ているのだが、いつもその夢の中で私は道を歩いている。

 地方の農漁村で人家がまばらなところだ。

 周囲に人はいない。

 遠くの方から「ガヤガヤ」と音がするので、後ろを振り返ると、1キロ近く後ろを群衆が歩いて来る。

 眼に見える範囲でも、東京競馬場に一杯くらいの大群衆だ。 

 見えるところで十万人いるのなら、その後ろにどれほどの人が続くのか見当もつかぬ。

 人の動きが割合早く、間合いが五百㍍、三百㍍と近くなる。

 次第に一人ひとりの表情が窺えるような距離に近づく。

 そこで気付く。

 「うわあ。あいつらは人間じゃない」

 そこに居たのは傀儡のような化け物のような異様な姿をした亡者たちだった。

 白い幟を立て、口々に何かを喚きながら歩いていた。

 「あんなのに掴まったら、酷いことになる」

 私は亡者たちから逃れるべく、道の先へ急ぐ。

 

 これが二十台くらいまでの夢で、脂汗をびっしり搔きながら目覚める。

 まるで数キロほど走って来たかのよう。

 家人と暮らすようになってからは、夢の中でも二人になった。

 やはり亡者たちが現れ、後ろをついて来る。

 人家の陰に息を殺して隠れてみたりするのだが、亡者たちは私たちが見えなくなると、「どこへ行った」「どこだ」と私たちを探そうとする。

 そこで、「あいつらの目的は私らなのだ」と悟る。

 正確には「私」で、家人は付き合ってくれているだけだ。

 

 長くこれが続いたが、ある時、二人で亡者たちから逃げていると、目の前に巨大な仏さまが現れた。

 背丈が五十㍍はありそうな仏さまで、背中から火炎が立ち上っていた。

 その姿を見た瞬間、私は「これで助かった」と安心した。

 仏さまは険しい顔をして、周囲を睨んでいたが、それが不動明王だと知ったのは、もちろん、目覚めて、あれが誰かを検索した後のことだ。

 

 最近気付いたことは、亡者たちが害をなすために私を追い掛けているのではないことだ。

 きっと、亡者たちはどうしてよいか分からず苦しんでいるところに、私の姿が見えたものだから、思わずついて来たのだ。

 亡者の目から見ると、私は光玉(明るい煙玉)のように見えているはずだ。

 接点があるのか、先方から見られてしまう。

 

 ともあれ、お不動さまの姿を見てその瞬間「さあっと楽に」なってから、当家の守護神はお不動さまになった。

 これから私がどのようなことになろうとも、お不動さまに対する感謝の気持ちは変わらない。

 「私はともかく、妻や子供たちのことは今後もよろしくお願いします」と伝えた。 

 

  飯能の能仁寺は曹洞宗のお寺だから、私の生家と同じ信仰だ。

  慣れ親しんだ心持ちになるから、居心地がよい。

 

  前の公園で缶コーヒーを買おうと思ったが、全部売り切れだった。

  それ以前に、飲み物の値段が一切書かれていない。

  その代わりに「缶入りマスク」が買えるようになっていた。