日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎アンパンと牛乳(635)

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令和四年三月九日撮影

アンパンと牛乳(635)

 少し体が楽になったので、再びN湖を訪れることにした。

 自分のことはさておき、母子が迷っているのでは可哀想だ。

 すぐに出発したかったが、所用があったので少し移動が遅くなり、N湖に着いた時には三時を回っていた。

 いつもの駐車スペースに行くと、工事車両で埋まっており、車を入れられない。

 別の場所を探さなくてはならなくなった。

 ここで、ご供物のことを思い出した。

 お焼香するだけでなく、供え物があった方がよい。

 「母ちゃんと坊やには何をお供えしたらいいかな」

 すると、すんなり答えが返って来て、「アンパンと牛乳」だと言う。

 (こういうのはすぐさま反応がある。)

 そこで車を返し、数キロ手前のスーパーに行き、アンパンと牛乳を買った。

 

 再び湖に戻ると、目的地の百数十メートル手前に釣り人用のスペースがあったので、そこに車を入れた。ベンチもあったから、まずはそこで供え物を置いて祈願した。

 枯葉が多いので焼香が出来ぬから、「引っ張り上げてやるから、私について来ればよい」とのみ告げた。

 供え物を捨てるのは勿体ないので、その場で私が食べた。

 牛乳は高リン食品なので、本来、私は飲めぬのだが、これもご供養だ。

(だが、五百ミリはさすがに多くて、帰宅してから下痢をした。牛乳など何年も飲んでいないから当たり前だ。)

 

 あるいて目的地に行き、写真を撮影したが、前回と同じような影が見える。

 「ではあれは気のせいだったか」

 だが、今回の画像を開くと、シルエット自体は似ているが、岩肌の陰影に過ぎない。

 なるほど、「人形(ひとがた)に魂が宿る」のと同じ理屈だ。

 

 こんな実体験がある。

 次女が子どもの頃、自分の持つ人形に「マリリン」と名付け、四六時中傍に置いていた。相手がまるで人間の子どもであるかのように話し掛け、夜は一緒に寝る。

 ある時、次女が自分の部屋で何か強い口調で声を上げていたので、部屋を訪れると、理由は分からぬが人形を「※※しなきゃダメでしょ!」などと叱っていた。

 「どうしたのか?」と訊いても次女は答えず、ただ人形に説教している。

 私はその様子を見ていたが、ある一瞬、その人形が「エエエエエン」と泣き声を立てた。

 さすがにその時は私も思わず退いた。

 人形の中に発生装置が入っていれば、体を傾けるだけで声を出す。だが、その人形のお腹に入っていたのは綿だけだったのだ。

 長く愛情を注がれた人形には「魂が宿る」というが、あれもそんなことだったのか。

 しかし、ホラー映画とは違い、その後は何もなく、次女は成長するとマリリンを玩具箱の中に仕舞った。

 「人形に愛着心を持ち続けたから魂が宿った」のか、あるいは「何かがそこにいて人形に入った」のかは分からない。その時はただの人形ではなくなる。

前回のN湖対岸の気配は、疑いなく「心を持つ者」のそれだった。

 

 「ま、アンパンと牛乳をリクエストするくらいだから、きっとついて来られるだろうな」

 それなら、このまま神社なりお寺なりで放してやればよい。

 既に夕方が近いから、その足でいつもの神社に向かった。

 日照時間が長くなって来たが、さすがに五時近くなると、もはや日が暮れる。

 TPOを外しているから、写り難いとは思ったが、ひとまず自身を撮影した。

 

 すると、画像では不鮮明なのだが、私の後ろにごっそりとムカデ行列が出来ていた。

 「俺はあの母子に『ついて来い』と言ったつもりだったが、他のも沢山引き連れて来たようだな」

 殆どの人はこれらの人影が見えぬだろうが、私の頭を見れば異変が分かる。

 私は散髪したばかりで、髪はかなり短めに刈り揃えている。

 だが、画像の私は額に髪が掛かるほど長く伸びている。

 これは後ろにいる女が私の頭の後ろにぺったりと貼り付いているためだ。

 次の画像では元に戻るが、こっちが実際の私の髪の長さだ。

この説明が分りよいと思う。

 

 人影は幽霊でも「気のせい」でもどちらでもよい。いずれにせよ、私はバスガイドよろしくこの地に案内して来ただけなのだから何も影響はない。

 だが、由々しいことに、私の左胸に煙玉が出ていた。

 体から湧いて出たような煙玉は、身体バランスの崩れによる生理的反応のことがある。

 過去に私の身体にこのような煙玉が出た時には、必ず著しく体調を崩し、入院生活を余儀なくされた。

 つい今朝には「危機の峠を越えつつある」と思ったのだが、どうやら考えが甘かったようだ。

 依然として危機は目の前にあるのか。

 ま、唯一の利点は、私が私自身の「危機を見取ることが出来る」と言う点だ。

 可能な限り、先手先手で立ち回ることが出来る。

 

 あと二三週間の内にも重大な危機が訪れると思うが、私が求めるのは延命ではなく「なるべく死後に悪縁(霊)にならぬこと」の方だ。

 死の直後、私は即座に目覚め、この世の者に祟りを為すような気がしている。

 どこまで熾烈な罰を与えるのかと考えると、そら恐ろしい。