日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎この時何が起きていたのか

 

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現実には存在しない筈の人影

◎この時何が起きていたのか

 これまでの例では、先日の画像に違和感を覚えるのは五六百人中四五人のよう。

 ちなみに、私は見慣れたので、どこにどういう者がいて、どんなことを考えているかが分かる。もちろん、顔の表情も。

 二月三月は体調的に「底」の時期で、検査する度に手術を勧められる状況だった。

 もちろん、体の問題はそもそも「ガタが来ている」ということで寄り付きとは関係ない。

 幽霊が働き掛けるのは、専ら心に対してで、自分たちが抱えていた恨み辛み・絶望感を味合わせ、それと共感することで自我の同一化を図る。

 三月に入り、私が感じていたのは「絶望感」で、心臓を中心に「長くはもたない」という自覚があることから、「こんなことなら早く死にたい」という考えを繰り返し持つようになる。

 この状態が「寄り付かれ」「抱きかかえられている」状態だ。

 

 だが、実際に自分がこういう状態であることを自覚すると、そこでハッと目が覚める。

 「これまで自分が感じていた絶望はこいつらによって吹き込まれていたものだ」

 これを分離するのには、お経もお祓いも不要だ。

  ただ、自分自身の心境を悟り、「これは自分本来のものではない」と思い知るだけで良い。恐怖(脅し)は相手の心をコントロールするための手段であって、イメージと実体は違う。恐怖心以支配されることほど愚かなことは無い。

 そして、行き着くところ、結論はひとつ。

 「どんなに具合が悪く、人事に苦労しても、自ら死を願うことは無い。生きることにしがみつく必要はないが、死を願うことほど愚かなことは無い」

 もはや立ち上がれぬ状態になったとしても、敵の足を刈り払うことは出来る。

 最後まで戦え。

 「なあんだ。こだわりを捨て、自分なりに前進すればよいだけのことだ」

 その瞬間に、体の周囲、とりわけ肩の重さがさあっと消えて無くなった。

 私は幽霊の側から「見られやすい」状況にあり、代わる代わる様々なものが寄り付く。

 でも、そんなことはもう慣れっこだから、気にする必要はなし。

 

 そして、肝心なことはこれからだ。

 気付いてみると、体調が徐々に良くなっている。もちろん、完全回復はしないわけだが、心臓がでんぐり返って動けぬようになる回数が減った。

 数日前に脚の動脈硬化の進行のため、閉塞箇所を手術するかどうか決めるための追加検査を受けたが、「必要なし」の診断を受けた。

 心境の改善によって、病状が著しく変わることがある。

 

 明日で今月は終わる。ひと月前はこれを越えられるとは思えなかった。

 たぶん、もうしばらくは生きられる。

 いつも記すことだが、車の構造を知らずとも、乗りこなすことは出来る。

 あの世に関する合理的な説明など不要で、乗りこなせればそれでよい。

 多くの者は運転を拒否して、車ごとあの世に突っ込む。

 死期は先に延ばすことが出来るのに、頑なにそれを拒み、チャンスを捨てる。