◎古貨幣迷宮事件簿 「古札類の続き」
今日は割合調子が良い方なので、夜間まで整理作業を進めようと思う。
C41 盛岡藩花輪 伊勢屋庄六 銭五十文 上品
この品を市場に出したのは今のところ全品とも私だけ。
偶然入手した品だが、当初はどこの何という商人のものかが分からなかった。
先輩収集家のH山さんも「これは伊勢屋と読むのか?」と言うほどで、古札類は書き手によって字に癖が出るので、判読が難しい。
だが、この品は及川屋清兵衛の懐中にあった品だ。清兵衛は花巻の馬喰(牛馬商人)だが、鹿角から八戸領、そして蝦夷地に至るまで広く活動していた。
嘉永年間から安政年間にかけて、清兵衛は北奥地方を旅し、八戸藩に税を収めた後、鹿角に来たようだ。その時、預かり切手類を携行していたのは、前回に受け取った札を銭に換える心積もりがあったのだろう。
だが、清兵衛は鹿角で客死し、もはや換金できぬ札が残された。
恐らく強盗などの被害に遭った筈で、銭や分金銀は盗られたろうが、札類は当事者でないと換えられぬので、そのまま残っていた。そんな推測だ。
清兵衛の取引相手と思しき「伊勢屋庄六」については、「鹿角花輪商人」として「御用金番付」に掲載されている(「御用金番付」は「商人番付」に同じ)。場所が合致しているので、おそらくこの地の「伊勢屋庄六」と見て間違いない。
盛岡藩の豪商としては、名の知れた商人であるが、札類が見つかったのはこれが初めてではなかろうか。たまたま七枚ほど得たので重品を出して来たが、いよいよ大詰めだ。
最後の局面では、状態が良く、情報が揃っている品が出て来るわけだが、これもその例に洩れない。これまでは佳品または並品の状態だったが、この品は上品もしくは美品と言ってよい。
字面を書いたのは、番頭手代なのだろうが、書体が少し異なるので、おそらくこれまでとは別人の手になる札である。
ここからは数品で、今後はこれまでの並品の評価の倍々に上がって行く。もちろん、それに見合う内容がある。
もちろん、盛岡藩の希少札で、この後の入手可能性はないと思う。釣り文句ではなく率直な感想だ。
この品の評価はほぼ定価で、一定の価格水準以下の品はあやしいと思った方がよい。
財政難の藩庁が急場しのぎに不換紙幣を作り、種々の代金を払う時に使用した。しかし、銭には換えてくれぬ札だから、領民の間で不平不満が噴出した。
そこで、さらなる急場しのぎに「質屋のみ受け取りを拒否してはならない」と触れを出したので、この札が質屋に殺到し、城下の質屋は悉く潰れたという。
結局、この札は紙屑と化したので、藩庁によって集められた札は仙北の北上川河原(小鷹刑場近く)で焼かれた。
戦後昭和四十年台までは、希少札の仲間だったが、平成に入ってから割と出物が増えて来た。何故かは知らぬ。
追加)夜の間に順次追加
N72 密鋳銭 6枚組
①は南部写し(たぶん山内座)
②③④は粗造写し。②白銅銭は中国合金製が大半だが、これは本邦密鋳銭。もちろん、見すぼらしいのでこの枠に入った。
③文久写しは、はっきり密鋳と分かる品。
④はいわゆる鍛冶屋出来。
⑤は鹿角赤ペラ銭の仲間。古色は黒で文政銭ではない。
⑥は輪側の処理などから、密鋳写しだと思われるが、文政銭にこれと似た風貌のものがあるので、解釈は買い手に委ねる。下値評価には入れていないが(クレーム受け付けず)、仮に離用通の写しであれば、かなりの希少品だ。