日刊早坂ノボル新聞

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◎南相馬の「子ども」

南相馬の「子ども」

 震災後、三年目か四年目からコロナ前の期間(計六七年間)には、東北全域の線量測定をしていた。郷里(岩手)に向かう時には、高速をほとんど使わず一般道を国道県道交えて色んなルートで行き来した。

 もちろん、帰宅困難地域も必ず通過し、前後では海沿い山沿いと様々な道を走りつつ、線量計を点けっ放しにして、窓を開けていた。

 

 ある年、北上する時に福島の海沿いのルートを下ったが、通行止め区域を迂回して進んで行くと、工事か事故が原因で、割と車が連なっていた。「渋滞する」というほど詰まってはいないが、前後に数十メートルほど離れた車のライトが見える状況だ。

 南相馬のどの辺だったかは忘れたが、道の端を子どもが歩いていた。背中を向けており、北を向いていたということだ、

 数キロ前に人家があり、その地点で母子を見掛けたから、「きっとその家族の一人じゃないか」と思い、そのまま通り過ぎた。

 しかし、その後で考えたが、母子とは少なくとも数キロ離れているし、子どもは六歳か七歳くらいだった。前の家族の一人としては先に行き過ぎだ。

 加えて、これが起きたのは夜中の一時から二時の間のことだった。

 どう考えてもおかしい。

 小学校低学年の児童が、真夜中に片側一車線の暗い道を一人で歩くのか?

 周辺には山と海しかない。

 長らく疑問に思っていたが、解明のしようが無いのでそのまま放置していた。

 

 最近、たまたまネットで、それと符合する話を見付けた。

 「南相馬の海沿いの道」で、そこには居ない筈の男児を見たというケースが何十とあるそうだ。

 しかも、そのうちの何割かは、男児を撥ねてしまうそうだ。

 ドライバーが「事故った」と思い、外に出るが、周囲に子どもは見当たらない。

 要は怪談の類だ。

 

 片側一車線道路だから、道幅は狭い。道の中央にふらっと人が出たら、避けきれずに撥ねてしまうだろうと思う。

 背中を向けている者が急に車の前に出ることは、ドライバーにはちょっと想像しにくいから尚更だ。

 あの時はたまたま前後に車のライトが光っていたから、その子は飛び出すタイミングを逸したのだろう。

 

 多い時には、日に十件以上も同様のことが起きたらしい。 

 男児が「家に帰ろう」と思い、ひたすら道を歩いていたのなら、少し不憫な気持ちになる。

 ただ、これは地震津波とは直接の関係は無いと思う。

 この後、宮城に入ってから、イタチみたいな小動物を撥ねた。

 正確には「タイヤで轢いた」で、生き物がぐしゃっと潰れる感触があったから、そっちが不快な記憶として残り、男の子の方はほとんど忘れていた。

 

 かなり前に白河で幾度か酷い目に遭ったので(あの世関係)、白河付近を通る時には、いつももの凄く緊張する。だが、そこを過ぎてしまうと、ほっとして気を抜いていた。

 当時は、あの男児のことを「なにか事情のある子ども」だと思っており、「生きた人間ではない」とは考えもしなかった。しかし、小さい子どもが夜中の一時二時に夜道を一人で歩く訳がない。同じようなケースが何十件もあると聞くと、なるほどと納得するところも多い。