日刊早坂ノボル新聞

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◎いわゆる「心霊写真」の見分け方

平成二十九年七月二十七日撮影

いわゆる「心霊写真」の見分け方

 「何だか人の姿っぽいものが写真の中に見える」ことはよくあるが、多くは錯覚(気のせい)だったり、思い込みによるものだったりする。

 前提は、1)はっきりしないことが多い、ので、2)鮮明な場合は最初に合成を疑う必要がある。昔のこの手の写真には重ね取りをしたものが沢山あった。今はもっと巧妙に合成できる。

 よって、「誰か」が撮影した画像に何かが写っても、基本は「よく分からない」ということになる。撮影環境によって、「たまたま」写りこむこともあるからだ。

 自身で撮影したなら、周囲の環境を再確認できるし、詳しい検証も可能だ。

 

 以下はばらばらと画像に写り出した最初の頃のものだ。

 経緯はこれまで幾度も書いて来たので、簡単に留める。

 平成二十九年に二戸から盛岡に向け国道を南下中に体調が悪くなった。胆嚢と脾臓に持病があったので、これが痛み出したのだが、すぐに女性の声で「ここにお参りしていけば治るよ」という声が聞こえた。

 「頭の中で」でなく、実際に音として響いたということだ。

 この手のことはよくある方なので、左手を見ると「御堂観音」の表示板がある。

 そこで、車をそちらの道に入れ、五百㍍ほど進むと、神社があった。要は「観音神社」ということだ。

 入り口から、異常が出始め、カメラのファインダを覗くと、「ひかり玉」がびゅうびゅう飛んでいる。日光とレンズの効果による「日輪」にそっくりだが、しかし、ファインダを地面に向けても「ひかり玉」は出ていた。

 階段を上り切ると、今度は「霧」だ。快晴の日で肉眼では霧など見えぬのだが、写真を撮ると周囲は霧に覆われている。

 ゆはずの泉で水を飲み、帰り際に記念碑を撮影すると、奥に女性の顔のようなものが写っていた。

 当人的には、すこぶる納得だった。

 何せ、声に呼び止められて、この地に来たからだ。

 駐車場に着く頃には、お腹の痛みが消えていたが、驚いたことに、その後数か月で、胆嚢と脾臓の腫瘍が完治してしまった。

 

 こういう経緯があるので、いくらか「思い込み」を捨てる必要があるのだが、しかし、写り方は通常とは異なる模様だ。

 右上にもたまたま女性の顔のようなものが出ているのだが、これとはまるで違う。右上のは枝と背後の光が交錯しており、光の明暗によって生じたんものだ。中央の女性の顔は枝や葉の前にある。

 その後のケースワークで分かって来たが、人影は「煙の中にいる」ことが多い。よって概ねぼんやりしているわけだが、たまに鮮明化することがある。

 

 その後の顛末を付記すると、あくまで私の想像もしくは妄想だが、この女性は岩手県矢巾にいた人だったようだ。

 御堂観音にお参りしたが、そこで急病になり、そのまま死んだようだ。

 

 それから一年後(確か)に高速道を北上していると、花巻を過ぎた辺りで「ここで降りねばならない」と思い付き、インターを降りた。

 矢巾付近で「左に」と言われたような気がしたので、そちらに進むと、古い墓地があった。イメージと少し違うから、幾らか移転したのかもしれぬ。

 窓を開け、しばらく滞在した後にその地を去ったが、あの女性は夢にも出なくなった。

 

 幽霊の多くは顔が怖かったりするが、それは幽霊だからで、悪気があるわけではなかったりする。感情だけの存在に近いとはいえ、その感情は肉体を持つ生きた者のそれとはかなり違う。

 「幽霊=恐ろしいもの」という考え方が薄れると、肩の合間から顔を出されようが、手をかけられようが、さほど驚かなくなる。悪意が無く、明るい方に「寄せている」だけのことの方が多い。

 

 従前の人は「守護霊」だの「地縛霊」「浮遊霊」だのといった種別を捻り出したが、そんなものは存在しない。

 あの世にあるのは「共感」と「非共感(または敵視)」だけだ。

 仲間であれば、助言をくれることもあるが、手を出して助けてくれたりはしない。

 今生はあくまで「当人自身のもの」ということ。

 

 ちなみに、私自身、「持病が完治する」ことを実際に体験したので、叔伯母二人と母を連れて観音さまにお参りした。

 ゆはずの泉の水を持ち帰り、煮沸した後でお茶やコーヒーを淹れて飲んだが、母や伯母には変化が無かった。

 私と叔母は初めて飲んだ時に、酷い下痢をしたのだが、後になって考えてみると、それは「反応している」という兆候だったようだ。

 興味深いことに、私と叔母は「あの世を実在として見なし、対処する」方の人間だ。「信じる」のではなく「実存」と見なすということだ。