◎夢の話 第1K47夜 喫茶店の幽霊
六月八日の午前六時に観たホラー夢です。
俺は喫茶店が好きだ。「昭和」を思わせるような佇まいと、店の中に入った時にふわっとコーヒーの匂いが寄せて来るあの感じが溜まらない。入り口に「塔」のようなコーヒーミルが立っていればなおよい。
それを見るだけで、若かりし頃の気分に戻れる。
だが、平成の後半頃から、昔ながらの喫茶店はめっきり少なくなった。
コーヒー専門店が増える一方で、マスターとバイトの女性の二人だけでやっているような、ちんまりした店はどんどん姿を消した。
割と生き残っているのは地方都市で、シャッター街の片隅にポツンと一軒だけ灯りが点いていたりする。
この日の俺は東北の某市を出張で訪れた。仕事自体はすぐに終わり、電車の時刻まで二時間ほど体が空いたので、街を散策することにした。
途中で雨が落ち始めたが、たまたまちょうど商店街の中ほどに喫茶店があったので、そこに入ることにした。
自動ドアが開くと、見込んだ通りの昔風の喫茶店だった。
左手にはカウンターがあり、四十台の店主が中で食器を洗っている。テーブルは四つほどだが、バイトらしき二十二産の女性が、今客が帰ったと思しきテーブルの掃除をしていた。
俺は店主に「こんにちは」と挨拶をして、カウンターに座った。
「いらっしゃい」と店主が答える。
「普通のコーヒー下さい」
「ブレンドで良いですか」
「はい」
俺はバッグからタオルを出して、服に着いた水滴を拭った。
傘をコインッロッカーに置いて来たので、少しく雨に濡れていたのだ。
その様子を、バイトの女性が見ていた。
「雨ですか?」
「ええ。急に降って来ました」
女性が店主を見る。
「今日は金曜日。午後から雨が降って来たとなると・・・。ああ嫌だわ」
既に夕方の四時を回っており、天候も相まって徐々に薄暗くなっている。
店主が女性に言う。
「チエちゃん。もう帰っていいよ。この雨じゃあ、これから来る客は少ないから」
女性が「はい」と答え、周囲を片付け始める。
数分後にカウンター越しにコーヒーが差し出された。
「お先に失礼します」と言う声が響き、女性が裏口から出て行く。
「この街にはお仕事で?」と店主が問う。
「ええ。役所との打ち合わせに来ました」
「行政関係の方で?」
「ま、そんなとこです」
店主が引き続き話し出す。
「この街もご他聞に漏れず、シャッター街になってしまいまして。ま、取り立てて産業も無いですし、若い者が減り、年寄りばかりになっちまいました」
「やっぱり大変ですか」
「ええ。この建物は親が残してくれたので、何とかなっています。賃貸じゃあ、とてもとても。繁華街らしいところも無いですから、今日みたいに週末の午後に雨が降ったら、もう閉めちゃいますね」
「イナカの抱える問題はどこも同じで、私の生まれたところでは集落が丸ごと消滅してしまいました。家も墓も守る者がいなくなってしまったのです。年に一二度は親族が墓参りに来るのでしょうが、崖や道の崩れたのを直すのは無理ですね。朽ち果てて行くばかりです」
店の外で「シャアシャア」と響く音が大きくなる。
雨が強くなったらしい。
店主が「これじゃあ、本当に今日は終わりのようだな」と呟く。
店主はカウンターを出て、自動ドアの横にある電源スイッチを切った。
ここで俺は何気なく玄関の自動ドアに眼を遣った。
すると、ガラスの扉のすぐ向こうに、赤い色のレインコートを着た女が立っていた。
女はじっと店の中を覗き込んでいる。
フードの上に雨が降り注いでいるのが見える。
俺は店主に声を掛けた。
「マスター。お客さんが来たようだよ。雨だし少し延長して入れてあげれば?」
この時、店主は俺に背中を向けていたが、すぐに降りかかった。
「え」
「ほら。外にお客さん」
顎で玄関を示し、もう一度そっちを見ると、赤いコートの女の姿は消えていた。
「ありゃ。さっきはいたのに」
その俺の眼を覗き込みつつ、店主は表情を歪めた。
「また来ましたか。時々来るんですよね。こんな雨の日の夕方に」
俺は生来、勘の働く方だ。その言い回しでピンと来た。
「じゃあ、さっきの人はちょっとおかしな人か、あるいは・・・」
店主が頷く。
「ええ。幽霊ですよ。たぶんね」
赤いコートを着た女は、雨の日の夕方に現れ、自動ドアからガラス越しに店内を覗き込む。
そして、まるで値踏みをするように、店内にいる人を見渡すのだという。
「どこの街にも、おかしな人が奇行を示すてなことがあるけれど、あれが幽霊だっていうのはどうして?」
「顔を見ましたか?」
「いえ。フードで隠れていましたから」
「そりゃよかったですね。フードの下の顔を見たお客さんもいるのですが、まるで能面のようだったと言っていました。ひと目でこの世の者ではないと分かるようです」
「そいつは気色悪いね」
カウンター裏の店主は布巾で食器類を拭いている。
「でも、何をするわけでもないですから」
俺の方はそっち系にも縁があり、行く先々でうまく説明の付かぬ状況に行き当たる。
旅館に泊ると、客のいない筈の隣室から、壁越しに声が聞こえることもある。
ぼそぼそという話し声が聞こえるので、壁に耳を寄せてみると、突然、耳元近くで「助けて!」と叫ばれたりするので、少なからず驚かされる。
「ま、多少驚かされたりはしても、害がないのであれば気にする必要はなさそうですね」
「ええ。女の子は少し嫌がりますけどね。はは」
ここでもう一度、自動ドアの方を見ると、ガラス戸のところにもう一度女が立っていた。
赤いコートをの女は、じっと下の方を見ている。
俺はすかさず店主に声を掛けた。
「マスター。ほら、今、そこに立っていますよ」
俺が落ち着いているので、店主は身を乗り出して入り口の方に眼を遣った。
「あれま。本当だ」
すると、入り口の女が顔を上げ、店内に眼を向けて来た。
フードの下から現れた顔は、死人のように真っ白で、無表情だった。
店主が「うひゃあ」と呻く。
「おいおい。勘弁してくれえ」
だが五秒か十秒かすると、女の姿はふっと消えて無くなった。
店主の「ふう」というため息の音が聞こえる。
ここで俺は店主に尋ねた。
「この近くに八幡さまか曹洞宗のお寺がありますか?」
「ありますよ。店を出て左に百メートルほど進んだところにお寺があります」
「そうですか。それじゃあ、マスター。お勘定をお願いします」
店主が手を止めて、少し考える。
「今からお寺に行くのですか」
「ええ」
「じゃあ、私がご案内しますから、少し待って貰えますか」
どうやら、まともにあの女を見たので、店主は少し恐怖心を抱いたと見える。
ここで俺は店主に言う。
「ああ。大丈夫ですよ。もう明日からはあの女は出ませんから」
「え。どうして」
「もう夕方で、外が暗くなっている。ちょうど店内の照明の方が明るくなったところだから、ガラスに映っていた女は、外に立っていたのではなく店の中にいたのですよ」
「えええ」と店主の顔が引きつる。
「それって、まさか」
「そう、あの女が立っていたのは、私の真後ろです。マスターの向かいくらい。でも、もう私に乗ったので、この後この店に来ることはありません」
女は自分を連れて行ってくれる相手を探していたが、それがこの俺だったというわけだ。
「嬉しくはないのですが、こういうのは時々ありますね。でも特に問題はありません。助けて欲しいから寄り憑くわけなのです。然るべき場所に連れて行き、ご供養を施せば、そこで離れます」
もちろん、多くの場合は、ということだ。何事にも例外はある。
ここで覚醒。
ホラー譚にするには、かなり脚色が必要だが、夢だけに現実に近い状況のところで止まっている。
実際に体験する幽霊は「あれ?おかしいな」と思う程度で、後で考えると「どうしても理不尽」だと思えるような状況のことが多い。同時進行的には、現実の出来事なのかで詰め胃の付かぬ事態なのかがよく分からない。
ようやく三四十分ならPCの前に座っていられるようになって来た。このまま改善されれば、原稿に向かえる日はそう遠くない。