◎夢の話 第1K55夜 夜だけの世界
九日の午前三時に観た夢です
私は三十台。自分で会社を経営している。
接待で酒を飲んだので、アルコールを冷ます必要が生じた。
ビール一杯だけだったとはいえ、完全に酒が抜けるまで五六時間はかかる。
「家に帰れるのは午前三時を過ぎてからだな」
事務所に座り、仕事を始めた。
こういう時の時間はすぐに過ぎる。すぐに二時になった。
「あともう少し待てば、家に帰って寝られる」
すると、唐突に電話が鳴った。
つい数時間前に接待で使った店のホステスだった。
この店には馴染みのホステスが居て、気心が通じているから、「客を楽しませてやってくれ」と言うだけで済む。
会話で喜ばせる技術を心得ているから、任せておけばよい。
「筋の悪そうな客が来たから、少し座っててくれない?」
隣の※※区から越境して来たヤクザ者が店にいるらしい。
「もう少しで時間だから、ただ座っていてくれるだけで良いのよ」
「もうじき帰って寝るから、少しだけだぞ」
日頃の付き合いがあるから、多少の手助けは必要だ。他の客が見ている環境では、そうやたらに無体を働くことは出来ぬから、幾らかは抑止力になる。
店もそれなりに夜回りと付き合っているわけだが、双方でそういうのが出て来る展開にならぬように計らう。
店に行き、テーブルにつく。
ただ座っているだけだからどうということもない。
酒は飲めぬから、ウーロン茶を頼んだ。
普段はサブを務める女性が俺のテーブルにつき、少し世間話をする。
他愛のない話だが、気は紛れる。
だが、少し鳩尾の辺りが重い。
「昨日、飲み過ぎたわけでもないのに」
二日酔いの時みたいな、ずしっと来る重さだ。
「心臓じゃないか」
中年になってからは、持病のひとつになった。
ここで違和感を覚える。
「今の俺は三十台だ。何故、中年になってからという過去の記憶として語るのだろ?」
しばらくの間、考える。
「なあるほど。これは夢だ。俺は夢の世界にいるのだ」
この世界の俺はまだ病気をしていないが、現実の方の俺は沢山の持病を抱えている。
時々、現実の俺が今のこの俺に干渉してくるわけだ。
「では、ここで飲み食いするのはダメだ。出られなくなる恐れがあるからな」
夢の世界は「あの世」に最も近い。
「あの世に紛れ込んだ者」の守るべきルールを守る必要がある。
その一つが「飲食すると、出られなくなる」というものだ。
三時を過ぎたが、筋の悪い客たちがなかなか帰らず、まだ居残っていた。
特に問題もなさそうだが、こっちも少し延長して、もう暫く座っていることにした。
「現実ではないからな。この世界に俺を待つ妻子はいない」
だが、早く帰って眠りたいのは確かだ。
四時を回り、ようやく客がいなくなった。
馴染みのホステスが傍に来て、俺に礼を述べた。
「どうもありがとね」
「日頃は世話になっている。お互い様だよ」
すぐに店を出ることにした。
地上に出る階段を上がると、店の外の景色が見えて来た。
外は真っ暗で、まだ真夜中だ。
「おかしいな。今は夏だから四時半には空が白み始める。これっじゃあ、まだ夜のうちじゃないか」
繁華街の中にある店だが、しかし、街は静まっており、朝の気配を感じない。
なんとなく直感が働き、俺はもう一度店に戻った。
扉を開けると、店内にはぎっしりと客が詰まっていた。
すぐにホステスが近づく。
「あら。今日は早かったわね」
早かった、だと。
「今は何時頃だよ」
すると、ホステスが笑って答えた。
「まだ十時だから、宵のうちよ」
おいおい。
再び同じ椅子に座り、物思いにふける。
「外にほとんど出ることもないから、もの凄く疲れるし、あちこちの具合が悪くなる。早くこの世界から出ぬと、それこそ出られなくなってしまう」
きっと、永久に夜を過ごすことになる。
俺はここで『シャイニング』という映画の一場面を思い出した。
ホテルのホールでは、そこにはいない筈のパーティ客たちがダンスを踊っていたな。
あれと今の状況はよく似ている。
「あるいは俺は、もう死んだか。死んでもそれと気付かずに、あの世の亡霊たちに混じって明けぬ夜を過ごしているのか」
果たしてこれから朝は来るのか。
ここで覚醒。
体は三十台の筈だが、しかし、持病の総てを持っていた。
夜の闇は絶望感の象徴だった。