日刊早坂ノボル新聞

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◎ちょっと不都合な「あの世」の話 その1「座敷わらしは顔が怖い」

ちょっと不都合な「あの世」の話 その1「座敷わらしは顔が怖い」

 福の神で知られる「座敷わらし」だが、伝説の内容から、市松人形のような可愛らしい風貌を思い浮かべる人が多いと思う。

 以下は私の体験談から。

 

 小学一年生の頃に、母親の実家に泊めて貰った。

 父母が所用で家を留守にするので、祖父母のところに預けられたのだ。

 母の生家は築百三十年を超える旧家で、地主の系統だった。

 母によると「戦前は見渡す限り自分の家の土地だったのに、農地解放で盗られて、何分の一かになった」とのこと。

 私は祖母の隣で寝たが、夜中の二時に目が覚めた。

 枕が替わって、良く寝付けぬのだ。

 目を瞑ってはいたが、頭の中は冴え、あれこれと考え事をしていた。

 すると、遠く奥座敷の方で何やら物音がする。

 「タタタタ」「タタ」「タタタ」という感じの音だった。

 まるで子どもが家の中を駆け回っているかのような音だ。

 最初のうちは、足音は奥座敷だけだったが、すぐにその隣の四十畳以上の広さがある「常居」に移って来た。

 畳の上を走る「タタタタ」という足音が常居の端から端まで響く。

 次第にそれは中居間の方に移って来たが、そこは板間なので、足音が「テテテテ」に変わった。

 私と祖母はその居間と摺りガラス一枚隔てた小部屋で寝ていたから、それが「子ども」の足音だということを確信した。

 この家には従兄妹がいたが、年格好や体重がかなり違うから、別の子どもだ。

 

 足音は「テテテ」「テテテ」と歩き回っていたのだが、ついには私の部屋のガラス戸の前まで来た。

 私はその戸の方に頭を向けて寝ていたが、頭のすぐ前で足音が止まった。

 「ああ。僕のことを見ている」と思う。

 そのまま音は止んだが、私はすぐガラス戸の向こうで、その子が私をじっと見ていると感じた。

 重苦しい時間が過ぎる。

 

 その沈黙に耐え切れなくなり、私は瞼を開いてガラス戸を見た。部屋の中には常夜灯が点いていたので、ガラスの向こう側がうっすらと見える。

 すると、やはりそこにいたのは、男の子の姿だった。

 背筋にぞぞと寒気が走った。

 私は目を離せずに、そのまま見ていたが、その子が顔をガラスに近付けた。これで顔の造作が見えるが、目を細めているのかはっきりと目の周りが見えなかった。

 だが、次の一瞬、その子が両眼を大きく開いて私を見た。

 その表情が凄く怖ろしかったので、私はついにしくしくと泣きだした。

 すると、ガラス戸の向こうにいる子が不意に向きを変えて、元来た方へ戻って行った。

 数分後に祖母が起き、私を宥めてくれたので、程なく私は安心して眠りについた。

 

 翌朝目覚めると、祖母に従兄妹たちが叱られていた。

 祖母は自分ちの孫たちが私を苛めたので、夜泣きをしたと思ったらしい。私は説明しなかったので、少し気の毒なことをした。

 

 高校生の頃になり、「実は」と昔語りに語ったが、「百何十年もそのままの家だから、子どものうちに亡くなったものが何人かいる。たぶん、そういう一人」と言う話だった。

 天井が普通の家の二階の高さにあるような旧家だったから、事実上、「座敷わらしと同じ」意味になる。

 私が会った「座敷わらし」は最初、市松人形のような細い眼をしていたが、目を開いたさまはかなり怖ろしげだった。

 ま、福の神の外見は、イメージとはかなり違うと言う。思わず「退く」ほど顔つきが怖い。

 

 その家で「子ども」に会ったのは、どうやら私一人のようだ。

 だが、気のせいでも何でもなく、ばっちりと視線を交わした。

 今にして分かるが、その時にはあちら側からも私のことが見えていたのだった。

 世間には「座敷わらし」を喧伝する旅館や旧家があるが、私は絶対に訪れようとは思わない。他の人と少し違った反応があるかもしれぬからだ。