◎まるでツアーガイドのよう(642)
木曜の深夜に眠りについたが、息苦しさでまったく眠れず、一睡もしないうちに朝になった。起き上がる直前に耳元で「女の声」が響く。声の感じは三十代前半くらいの年格好だ。
「こりゃいかん。べったり貼り付いてら」
そこで妻子を駅まで送った後で、すぐにお寺に行くことにした。
お寺では「お坊さんたちに供養をして貰い、執着心を解き放つよう」説得するつもり。
ところが、途中で雨足が強くなり、前がほとんど見えなくなった。
この周囲のお寺は、百段を超える急階段があったり、坂がきつかったりして、今の私には対応出来ない。この雨なら尚更だ。
そこで、目的地を神社に切り替えることにした。前に足繁く通っていた神社なら参道はほとんど平らだ。
二月から六月にかけ体調を崩したが、まだ基礎体力が戻って来ない。今はスーパーの階段すら五段も上がれぬのではないか。
駐車場に車を入れ、三十分ほど待つと、雨が幾分小降りになった。
その間、車の中でお焼香をして、私が連れ歩いている者に声を掛けた。
「気付いていないのだろうけれど、お前たちはもう死んでいる。楽になりたくて、俺に掴まっても、俺には助けられない。執着心を解いて先に進むか、あるいはトコトンその執着を解放するとよい。恨み辛みを忘れたくないなら、アモンに願え」
引き合わせるが、相手は筋金入りの悪縁(悪霊)だ。代償を払うことになる。
でも、千年の間奴隷になっても、晴らしたい恨みはあるだろう。
自分の作るコールタールの海に浸って過ごすよりはまし。
「もちろん、総ての記憶を捨てて前に進む方が、それよりはるかに楽だよ」
これが聞こえるのかどうかは知らない。逆の立場など理解したくもないわけだが、ひとまず対話ずることが基本だ。
神殿の前には参拝客が数人いたが、遠目から失敬して撮影させて貰った。
ま、まだ午前十時にも届いていないし、雨の日で光量が少ないから、しるしは何も残らぬ筈だ。
撮影中、何となく視線を感じ、すぐに開いたが、一方向が引っ掛かる。
私のいた辺りではないのだが、こっちを見ているようだ。
帰宅して、すぐに開いたが、やはり痕跡がはっきり残っていた。
TPOがまるで合わず、薄ら微かなのだが、きちんと顔まで出ていた。
クリニックの前で私を見付け、付いて来た者の中には、「殺された」と告げる者がいたのだが、着物のような服を身に着けた女だったようだ。
この女は別の女の肩を掴み、己の恨みを果たそうとしている。
幽霊が幽霊に取り憑くのは、少し変な気がするが、あの世では当たり前だ。
そもそも自我を存続させるためには、他の幽霊を取り込んで自我・自意識を強化する必要がある。もはや沢山の幽霊を引き寄せているので、全身にぺたぺたと別の者が貼り付いているわけだ。
この画像は数日で霧の中に消える。見ても影響はないので、両肩を掴まれている女を拡大してみるとよい。今なら顔が割と鮮明に分かる。
この日の幽霊は私の後をついて来た者たちだ。既にクリニックの前で撮影した画像の中で同じ視線を見ている。
子どもの頃から約束されていたことなのかもしれぬが、まるでツアーガイドのように幽霊を先導し、あの世の戸口まで連れて行く務めがあるかのよう。
いずれ程なく私は死ぬだろうが、たぶん、「死神」の仲間になって行くと思う。
私はまだ生きており、人事で忙しいので、今晩から少しは寝かせてくれると助かる。
あと、回線の繋がっていない電話のベルを鳴らしたり、スマホを使って勝手に話すのはやめろ。自動音声では「殺された」「憑依した」みたいなことは絶対に言わぬそうだ。幽霊も生きた人間も、二㍍以内に近づくな。障りが欲しいのか。
人間が嫌いな上に、地獄耳だ。
追記)で、ひとまず話を通すと、その夜から寝られる。
かなり前にテレビで心霊番組が流行っていた頃、異変(霊現象)が起きる場所に自称霊能者を三人連れて行き、「何故この地で霊現象が起きるのか」を尋ねた。
すると、その霊能者たちの答えは三人三様で、めいめいがまったく別の因縁を語った。
そこから祈祷を行ったのだが、全員でお祓いをすると、その場所での異変は鎮まった。
何のことはなく、因果や因縁の内容は別として、「慰める」「祈祷をする」ことが重要だった。
道を塞ぐように「誰か」が立っていた時には、それが誰なのかとか、何故にそこに立っていたか、などはどうでもよく、その相手に向かって「すみませんが、通らせてください」と断ることで通して貰えることが多い。それと同じ。
すぐに「祟り」を持ち出し、「浄霊・除霊しないと大変なことになりますよ」みたいなことを言うのは、詐欺師の手口だ。
「すいませんけど、ちょっとお願いしますね」の一言で、対人、対幽霊関係はスムーズに動く。
それには、まずは「現実に存在している」ことを受け入れることからだと思う。