日刊早坂ノボル新聞

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◎国民はバカじゃない 国葬反対70%の嘘

国民はバカじゃない  国葬反対70%の嘘

 いまだにネットでは「調査」と称して、「国葬反対70%」みたいな嘘数字を出し続けている。

 調査対象を選別した上で、その中で賛成・反対の%を眺めても、結果数値には何の意味もない。

 下に小さく「これは統計調査法に基づくものではありません」と書いてあったりするが、そんなのが免罪符にはならない。

 数値に意味がないなら、それをわざわざ出すのは、「印象操作をしています」と自分で公言するのと同じことだ。

 

 このやり方は主に半島で用いられる方法だ。

 例えば、韓国内に滞在している外国人に対し、「訪れたい国はどこですか?」と訊く。

 現に韓国に来ている客だから、そもそもその国に興味を持っている。そうなると、「韓国」と答える割合が80%くらいまで達してしまう。そこで公表時には「韓国訪問中の外国人に質問した」という情報を落としてしまう。

 結果数値だけを見ると、「世界中の人に聞いたのか」と錯覚する者が出て来る。もちろん、それが狙いで、「韓国スゴイ」を捏造するための意図的な操作だ。

 たぶん、「統計」や「社会調査法」を学んだことのない者がやっている。学んでいれば、「こんなのは邪道にもならない」と思うからだ。

 日本でもメディアの中には、「こいつは調査法を何も知らんのか」と思うのがいるが、なあに半島の息がかかっていそうな媒体だ。

 

 思想信条や信仰、冠婚葬祭に関連した質問をすると、「他の人についてあれこれ言うべきではない」というストッパーが働き、「関わらないように」「無用に敵をつくらぬように」という心理が働く。

 よって、常に40%を超える人が「判断がつかない」「よく分からない」と答える。きちんと対象者を無作為抽出法によって抽出しているなら、はっきりした意見を言う賛成反対の目安は各3割程度になる。何故なら、思想信条は個人の自由だから「口を出さない」のが基本姿勢だからだ。

 

 電話で聞くと、最初の「※※新聞です」という単語で、通話を切る者が多数出るのだが、もちろん、その新聞を快く思わぬ者だ。

 そうすると、「回答拒否」票になり、票数にはカウントされない。中の質問を一問でも答えれば、個別項目について「無回答」で処理する。

 無回答が多かったりすると、調査の信憑性が問われるから、これも落とす調査主もいる。

 ま、「分からない」「無回答」が「1割しかいない」のは、その時点でアリエネー結果だ。

 ともあれ、電話調査では、その調査主(新聞)を快く思っている人が回答者として選ばれる傾向が生まれる。

 よって、その新聞の社説コラムの方向性に沿った回答ばかりを集める結果になる。

 「七割が国葬に反対」などそもそもウソッパチだ。周囲の人に聞いてみるとよい。

 しかしま、メディアやネットの「作られた風潮」に乗せられる人も一定数はいる。

 

 と思っていたが、日本国民はきちんと見ているようだ。

 メディアも野党もとにかく批判する。これが仮に「国葬を止める」という事態になっても、なんやかやと批判すると思う。

 そうしなくては、飯を食いっぱぐれるからだ。

 今や「新聞離れ」のせいで、新聞社経営は火の車だろうし、野党の幾つかは滅亡に瀕している。

 焦りがあるから、ヒステリックに「反対」を叫ぶ。

 この態度について「おかしい」と思う者がかなりいるようだ。メディアでは取り上げぬから、新聞やテレビには「70%」しか出て来ぬわけだが、今はネットがある。

 「偏向報道」を引けば、情報操作、世論誘導に対する批判が山ほど出て来る。

 

 そもそも、「国葬」だろうと「内閣葬」だろうと、「大した違いはない」と思わんのか?当方が国葬の是非を聞かれれば、「別にどちらでもよい」と答える。扱いはどうでもよく、「選挙戦中に凶弾に倒れた政治家に哀悼の意を捧げる」のは必要なことだ。民主主義の根幹を脅かされる事態だったのだから、民主主義を大切に思う人が喪に服するのは当たり前だ。

 葬式は「亡くなった人を評価する場」ではない。

 統一教会との関係がどうのとか、安倍政治がどうのとかも、この葬儀とは別の話だ。

 

 「私は国葬には行きません」と公に口にする者がいるが、モラルセンスを疑う。締め切りまでに返事を出さなければ、自然と「欠席」扱いになるのに、何故にカメラの前で叫ばねばならんのか。

 ネットで「国葬反対」「メディア」「捏造」と検索すれば、メディアの論調とは真逆のコメが山ほど出て来る。

 やはりきちんと見ている者は見ている。

 その証拠に、岸田政権と自民が支持率を下げている一方で、立民あたりは、増えるどころか存亡の危機だ。

 「まずは亡くなられた方を送り、その後で議論すべきは議論する」と何故言えぬのか。

 自分の意見を通すためなら、他人のことを踏みつけても良いと考えるものがやたら多い。それはその者たちが敵として批判する 

「安倍(象徴なので継承なし)」政治と大して変わりはない。

 

 今回つくづく、「国民はバカじゃない」と思った。

(パヨはバカだ。よくあんな数字を表に出せたな。恥ずかしくないのか。それともプロを一人も雇っていないのか。社会学部の学生がリポートで出したら、たぶん「不可」がつく水準だ。こういうのは身内が窘めぬと大恥を搔く。)

 

 ちなみに、今は専らメディアのどこに半島人が棲み付いているかを観察している。手法が半島式なのは、それに関わる者が半島人だからということ。

 あとはどれくらい半島の金が入っているかどうか。

 半島人は隠し事が出来ぬから、半島のネットを検索すると、ぼろぼろとあれこれ白状している。口を開けば嘘しか言わぬのだが、その反面、事実を隠すことも出来ない。

 ハングル変換がうざいが暇潰しにはなる。