日刊早坂ノボル新聞

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◎席は空いている

席は空いている

 二年くらい前に、テレビである女優さんのインタビューを観た。番組は何だったか忘れたが、「徹子の部屋」みたいな対談番組だ。

 この女優さんは、有名俳優と結婚し、二児をもうけたが、夫の浮気が原因で離婚した。

 俳優と結婚したのが90年頃で、離婚したのが90年台の末。よって、結婚していたのは七八年だけ。男の子が二人いたが、離婚した時は子どもたちが小学生になるかどうかの年頃だ。

 以来、母子で暮らして来たわけだが、子どもたちが成人・独立したのをきっかけに女優に復帰することにした。

 テレビ番組は、女優に復帰して間もなくの頃のものだった。

 家族のことに話題が及ぶと、米在住の俳優んが帰国した時に息子たちを交え、皆で会う話になった。

 「子どもには父親なので、もっと父子が触れ合う時間があればよいのですが」

 みたいな話を淡々としていた。

 やはり母親一人の子育てだから、かなり大変だった模様だ。

 「家族四人で食事をして・・・」みたいなことを話していたが、自分と元ダンナの関係性についてはさらっと流していた。

 

 だが、言葉にはひとことも出て来ないのだが、「今もダンナの席を空けて待っている」のを、ひしひしと感じた。

 既に離婚してから二十年で、夫婦だった期間よりもずっと長い。

 「別れたくて別れたわけではない」のが丸わかりだ。

 ま、ダンナに愛人が出来て騒動したいきさつは誰でも知っている。

 ダンナが外に女を作り、自分と子どもを置いて出て行ったのに、まだ席を空けて待っていたのか。

 昔話に出て来る展開のようだ。

 それを言葉では塵ほども言わぬところがスゴイ。

 文句は山ほどあるだろうが、それを口に出さず、かといって「また皆で暮らしたい」とも言わず、ただ席を空けて待っているわけだ。

 いやはや、泣ける。(実際に泣きながら観た。)

 

 この人は元々、相手に尽くす性格だったのだろう。

 でも、そういうのを苦手に思う男もいる。

 例え話になるが、「相手が自分のことを常に見ており、ふと顔を少しでも上げると、その相手が自分を見ている」みたいな状況だ。

 思わず「やめて」「そっとしといて」と言いたくなる。

 そういう男性の方の気持ちも分からんでもない。

 「自分は自分で、あなたはあなた」という部分を感じぬと、何とも言えず重くてウザく、息苦しい。

 まるで女性が背中に貼り付く憑依霊のよう。

 

 元夫は、たぶん、そういう気持ちがあったから、妻とはまったく別の猫みたいなタイプに惹かれた。

 (確かに、若い時には「息苦しい」のはダメだった。大人しくて従順なていだと、何だか「勘弁して」と言いたくなる。他人が立ち入ることの出来ぬ自分だけの部分を持ってくれと思っていた。)

 だが、この元夫婦ももう両方が六十過ぎだし、今では許容できる部分が増えている。

 元ダンナが米国からひょっこり戻って来て、「長く留守にしたけど、帰ったから」と、まだ空いている席に静かに座る展開になったら、周囲はさぞ癒されると思う。

 ま、アリエネー話だ。だから寓話や昔話のように聞こえる。

 

 現実に起きそうなケースは少し違う。

 放蕩者の元ダンナが愛人に捨てられ、放り捨てた元妻のところに「ボロボロの状態で転がり込んで来た」という話なら、実話で似たようなケースを聞いたことがある。

 やりたい放題にやって、最後に戻るのは、自分が最も苦労を掛けた相手のところだ。その実は最初の妻に依存しており、甘えていたから、酷い仕打ちをした。

 母親には平気で我儘が言えるからだ。

 

 話の筋とはだいぶ違うが、昔話を思い出す。

 「鶴の恩返し」では、女房の鶴は秘密を知られたので、「約束を守って欲しかった」と言い残し、元の世界に帰って行く。

 童話ではこれで終わりだが、元になった複数の話の中にはまだ続きがあるものがある。例えばこう。

 夫は、その後、鶴の女房に初めて会った場所を毎日訪れ、再びあの鶴が姿を現すのを待つ。それからの夫の人生は女房の記憶を辿ることに費やされる。

 そしてそれは、夫の猟師が息絶えるまで続く。

 

 大切なものの大きさに気付くのは、既にそれを失った後のことだ。

 やはり泣けるなあ。