日刊早坂ノボル新聞

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◎病棟日誌「悲喜交々」 十月一日付 「憑依される」

令和三年十月 稲荷の傍で悪霊を拾う

病棟日誌「悲喜交々」 十月一日付 「憑依される」

 この日は通院日。

 病棟に行くと、看護師のユキコさんが出勤していた。

 二週間ほど顔が見えなかったから、容易に想像はついたが、当人いわく「夫が感染しまして」との話だった。

 ダンナさんが感染したので、自身は濃厚接触者の扱いになり隔離措置になった。

 最初の数日は「のんびりできる」と思ったそうだが、買い物にすら出られぬので、五日目には飽き飽きしたそうだ。家の中でテレビを観たり読書をしたりして時間を潰すのだが、「何もしない」ことほど心を苛立たせるものはない。

 ようやく夫婦とも二回陰性となったので、出勤できることになった。

 

 久々に会ったわけだが、私の方は「幾らか血色がよくなった」ように見えるとのこと。

 そこで自分の現況を伝えた。

 「三月から六月までは、自分は程なく死ぬと思っていましたが、そこからは幾らかましになりました」

 ここからが重要だ。ユキコさんはこう返した。

 「私は※※さんは、もうあっちの側に入っていると思っていました」

 「あっちの側」とは、もちろん、あの世のことだ。

 心臓はまだ止まっていないが、魂は既に持って行かれている。ユキコさんは私がそんな状態に見えたと言ったようだ。ここは医療従事者なので言葉を選ぶ。

 私自身が「程なく死ぬ」と思うのはともかくとして、日頃、死にゆく患者を見慣れた医療従事者の側が「もはやこの人は」と思って眺めていたのなら、まさに真実なのだろう。

 この病棟は、多臓器不全症の行き着くところだから、最後のバランスが崩れ立てなくなると、ひと月以内に病院から消えてしまう。その「最後の崩れ方」の患者パターンに、私がすっかり当て嵌まっていた、というわけだ。

 

 「立て直すのに一年掛かりましたね」

 「どういうことですか?」

 ユキコさんはN湖の近くに住んでおり、私が亡者供養のために、度々N湖を訪れていたことを知っている。

 「ちょうど一年前に、うっかり稲荷村社の神域に足を踏み入れてしまったら、悪縁に取り憑かれてしまった。その後は入れ代わり立ち代わり、悪いのがやって来て、魂を食おうとします」

 昔から稲荷とは相性が悪く、境内に立ち入ると立っていられぬほどの状態になる。

 それがまともに神域に入ってしまったので、周囲のよからぬものが集って来た。

 その後は次々に色んなヤツが寄り付く。

 最悪だったのは、血中酸素飽和度が85くらいまで下がった時だ。

 普通、即入院措置なのだが、医師や看護師は私のことをぼおっと見ていた。

 「心臓の検査に行け」とかナントカ、当ての外れたことばかり言う。

 生憎、私は直感が勝っているから、「今心臓に手を入れたら、それが原因で死ぬ」ことは分かる。

 悪縁に取り憑かれても、ホラー映画みたいな物理的異変はあまり起きぬのだが、心が弱くなること、恐怖心にかられやすくなること、自他に「ちょっとした不注意」が起きやすくなるという影響が生じる。

 そのちょっとした不注意が、心臓に施術をする医師に起きれば、直ちに患者の命に係わる。

 「今はようやく峠を越えたので、もう暫くは生きていられます」

 たぶん、次の一月二月くらいまでならの話だ。もしくは感染するまでで、感染すればそれから数日で死ぬ。これは医師の保証付き。

 

 「ではもういなくなったのですか?」とユキコさんが訊くので、「一度憑依されれば消えることはない」と答えた。玄関の鍵を開けて中に入れてしまえば、その後は出入り自由になる。

 「それでも、きちんと対処し、相手の存在を意識するように心掛ければ、悪影響を押さえることが出来ます」

 「じゃあ、取り憑かれた時にはどうすればいいのですか」

 「他力で押さえようとしても、逆効果になることが多いです。まずは自分の心を整えることと、相手の所在を確認し、自分の領域に入れぬようにすることが大切ですね。頭の中で声が聞こえる訳ですが、自分の声なのか誰かの声なのかをよく確かめることです。お寺や神社でのご供養や祈願もしますけどね」

 「敬意を持ち慰める」ことと同時に、「自分は関わりのない者だから無用に近づくな」と、相手との間に線を引くことが重要だ。

 必要以上に近づき、悪さを為せば、「それ相応の応酬がある」とも伝える。

 

 「ともあれ、まずは相手を知ることが第一ですよ。その点で私が好都合なのは、目で姿を見て声を聞ける点です。もちろん、それも練習の結果なので、間違いも多いのですが、手を打つのが速くなります」

 「取り越し苦労」ほど素晴らしいものは無し。それは「何も起きぬ」という意味だ。

 ま、スマホが勝手に「憑いた」「憑いた」と叫び出す事態になっても、冷静さを失うことはない。

 

 今生きていられるのは、「あの世を正視し、きちんと向き合う」ことを心掛けていることによる。

 看護師に「もうあっちの人」だと見なされる状態からでも、この通り、この世に戻って来られる。

 もちろん、肉体は必ず滅びる時が来るから、幾らか期限を延長する程度の意味ではある。

 この一年の最大の収穫は、「悪縁(悪霊)が人に取り憑く時の人の側の具体的な体感」が分かるようになったことだ。

 幽霊は物理的に存在しているので、必ず力学的な影響が生じる。

 

付記)うっかり稲荷村社に立ち入った後、すぐにその場を離れたのだが、その際に、「頭の上に蜘蛛の巣がかかった」ような感触があった。手で振り払ったが、何もない。

 あれは実際の蜘蛛の巣ではなく、「別の者」が寄り付いた感触だ。

 この後、正体を見極めるために再びこの村社を訪れたのだが、この時には僧侶の顔が鮮明に画像に残った。なるほど、神職や僧侶などが悪縁(霊)になると、普通人よりもはるかに強力な障りをもたらす存在になる。

 なお、九分九厘「差し障りをもたらす」画像だったので、すぐに捨てた。人の目に触れるところに出してはならぬ性質のものだ。

 さて、こういうのを監督するのは、その地の神だと思う。理由なく生者に障りを与えるなら、「きちんと監督しろ」とクレームをつけてもよいと思う。