◎もはや境目が無い
夕方、最寄りのスーパーまで買い物に行き、裏道を通って帰宅しようとした。
住宅と田畑の間だから、かなり薄暗い。
「この採光だと、人だか幽霊だか見分けがつかんな」
夕方のちょうど薄暗い中に車のヘッドライトが斜めに当たったりする時に、時々人影が見える。
これが人間なのか幽霊なのかがよく分からない。
(それだけ頻繁に起きるようになったということだ。)
畑道から広い道に出る直前で、やはり左側を人影が歩いているので、注意して迂回した。
すぐにT字路に当たるから、一時停止し、右側を確認した。
そのついで、ちょっと左後ろを確認した。
そうしたら・・・。
ここで殆どの人は、「車のすぐ後ろに気持ち悪い人影が立っていた」みたいな展開を想像すると思う。
それってのは、世間の「怪談」の類の話だ。
当家では、カウンターの陰に日常的に女が立っている状況にあるから、その程度では済まない。
続きは、「後ろを振り向いたら、後部座席に女が座っていた」だ。
つい先日、八幡さまの境内で女を背負う自分の姿を撮影したばかりだが、それとは別の女が暗がりの中にいた。
ほとほとウンザリ。
すぐに車を脇に寄せ、窓を全部開けた。
「断りなく乗るなと言っているだろ。ここで降りてくれ。いくら付きまとっても、俺には助けられんのだ」
「己を救うのは己のみ」で、他者を頼っても何も変わらない。
常時周りに沢山いるから、別に傍にいても良いが、私にそれと悟られぬくらい慎重に振舞えよな。
もはやこの手のことには慣れたので、運転をしくじったりはしないが、さすがに背筋がざわざわする。
最近、視界にオレンジ色の光が走るので、かなりヤバイとは思ってはいたが、さらに一段、あの世との垣根が低くなっている。
ちなみに、「オレンジ色の光」は、「死ぬ直前に見る兆候」のひとつだ。
ここからは数か月しかない。
次のヤマが二月頃だろうから、時期的にはちょうど合っている。
世間にある怪談の類を聴いたり読んだりすると、「ああ、ここが盛ってある」と気付くのだが、私のは現実に写真の裏付けがあるので、「気持ち悪かった」「怖かった」で話が済まない。画像一枚があるのと無いのとでは説得力がまるで違う。
状況を見極めて、必要なら対処の手を打つことになる。
「死に間際」に観る世界は、想像していたのとかなり違う。
たぶん、夏目漱石が観たものとは違うが、漱石はこれが始まってから半年で死んだのに対し、私は五年以上生きているということの違いだと思う。
その分、場数を踏んだから、なすがまま、なされるがままにはならないぞ。
生きていても死んだ後も、私は「性質が悪い」方の部類だと思う。何せ人生の手本が松永弾正だ。(もちろん、書家としての方。)
返す返すも、今日は正直ゲンナリ。
追記)例によって午前三時頃に電話のベルで起こされた。
通常、これは「伝えたいことがある」ということだ。
ま、今日のは「助けてくれ」ということだと思う。
こういう相手は溺れているのと同じ状態なので、相手かまわずしがみつく。
まずは落ち着いて貰うために、枕元に水を備えた。
幾日か前に、看護師のO君に「化粧品の匂いがしますね」と指摘されたが、なるほどこの日は私自身がそれを感じた。
証拠を伴っているために、「気のせい」では済まされない。