日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎迅速な対応が肝心(648)

◎迅速な対応が肝心(648)

 前日に車の後部座席に乗られたことがあったので、この日はすぐに神社に行った。

 恐らく拾ったのもここで、他の人の祈祷が終わるのを待つために、霊気の流れの中に三十分くらい静止していたことが原因だ。実際、内門のところで「蜘蛛の巣」が頭にかかる感触があった。

 八幡さまでは三十台くらいの女性が私の肩に乗っていた。

 自覚症状では、それひとつではなく、かなり沢山のものを拾ったという感触がある。

 そのひとつが後部座席の女だと思われる。

 それなら、拾った者は拾ったところに返すのが一番良い。

 

 ここに流れが出来たのは、何百年にも渡り、多くの人が訪れ、祈願をして来たことによる。一定方向に向かうひとの意識が、水車が回るように働いて、霊気の流れを作った。実際、神殿前で手を合わせる人影の姿を幾度か画像に捕捉した。

 死者でも神社に参拝するわけだ。

 

 神殿前には、既に夕方だということもあり、他に人はいなかった。

 そこで観光ガイドよろしく右手を挙げ、こう告げた。

 「さて皆さん。ここで降りて下さい。神殿の裏にまっすぐ進むと、沢山の人たちが待って居ますから、その人たちのところに向かって下さい」

 まさに団体客に近い状態だ。

 

 一度でどうにかなるものではないのだが、丁寧に繰り返して分離を試みるしかない。

 画像はTPOを外れていることもあり、他の人には何も見えぬと思う。

 もちろん、当事者は違う。時折、肩に触れられたり掌を握られたりする感触があるのだから、迷いはない。

 車に乗って来た女は四十台の後半から五十くらい。他の女たちを押しのけて前に出ている。

 神殿を後にする時には、「またもう一度お寺や神社に百五十日通う日々が戻って来る」と思った。

  五年以上の間そうしていたわけだが、それは単に「必要だった」ということだ。

 日々、すぐに溜まるので、その都度吐き出す必要があった。

 

 これが「確かにおかしい」と見取る者は四五人だと思う。もちろん、ネットで「受ける」ためにやっているわけではないから、他者の理解や共感は一切必要ない。

 己の問題は己の手で解決するしかない。

 

 夜には枕元に水を置いて就寝した。

 古くからの言い伝えの類なのだが、実際に効果があり、深夜に起こされずに熟睡出来た。「電話のベル」も「声を掛けられる」こともなし。

 やはり「慰める」という姿勢が大切らしい。