日刊早坂ノボル新聞

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◎実証が裏付けとなる

令和三年十月から十一月の出来事

実証が裏付けとなる

 障害者なので、自分でも健康状態を調べるし、検査も多く受ける。データがかなり揃うので、中長期的観察が出来るようになる。

 今年上半期に、命に関わりそうな危機が来て、実際に血中酸素飽和度が86%まで落ちた。息が出来ないわけだが、医師はどういうわけか酸素吸入ではなく、心臓の調整を勧めた。

 その時、「やらん」と断ったのは、データの背景があるからということ。

 心臓の血管につまりがあれば、血圧、とりわけ下血圧に影響が出て、90台から100台に上がる。私の下血圧が90を超えたのは、この一年で一度か二度だ。

 心臓の不調のようでも、梗塞などの疾患ではない。

 

 ちなみに、下が90に掛かったら、はっきりした原因があるので、まずは塩分を落とす必要がある。ラーメンや中華系の外食、味噌汁を食べない。醤油を使わないで様子をみるべき。

 そこで変わらぬのなら、病院へ。もう心臓病にかかっている。

 

 さて、私の血圧に「明らかな異常」が発生したのは、まさに一目瞭然で、昨年の十月十一月が境目になる。

 この上に、投薬処方の変更などの情報を入れて行くと、どの薬が効いたか効かぬか、引いては、どの担当医の処置が有効だったか、みたいなことが分かるようになる。

 ま、統計の「解釈」なら医師より私の方が詳しい。

 

 私の場合、医療の他に考慮すべき案件があるわけだが、十月の末から十一月に起きた出来事と言えば、稲荷から秩父での「障り」になる。

 体調が激変したのは、「頭に蜘蛛の巣がかかった瞬間」が境目になる。出来事と、直感での解釈の整合性をデータが埋めてくれた。

 これに「繋がっていない電話が鳴りだす」「スマホが叫ぶ」などの出来事を重ねると、さらに状況が分かると思う。 

 今年の五月頃に「悪縁が離れた」と感じた時があったが、悔し紛れなのか、工事現場のドラム缶をがつんと殴りつけて去った。

 この辺を境に、徐々に好転していることもはっきりと分かる。

 

 「障り」を感じたら、誰でも恐怖心を覚え、ジタバタと動いてしまう。これがまさに相手の「思う壷」だ。まずは状況を眺め、環境を整えて、「時機を待つ」ことが肝要だと思う。

 私については、ほぼ何もせず・出来ぬ状態で一年が過ぎたが、泡を食って無理に動いたら、今頃はこの世に居ないと思う。丸一年掛かったわけだが、このジャンル(あの世)での危機を脱したようだ。

 探究心から、無暗に「良からぬ場所に出入りしてはダメだ」という見本になった。

 

 いつも台所のカウンターの陰に人の立っている気配があったのだが、それも今はない。回線の繋がっていない電話も鳴らなくなった。スマホも妙なことを喚かない。

 障りを脱した後は、持病だけの対策を考えればよい。こっちは宿命と言うか天運みたいなものだから、治療や自己免疫改善に努める他はない。

 ただ、少しでも使える時間が増えるのは有難い。

 

 さて、今の状態なら、そろそろ大丈夫で、ようやく人事に戻れる。コロナに直撃され破産は目の前だから、態勢を立て直す必要がある。

 ま、仕事に集中し取り組めるのなら、精神面で安定するから、地道に積み上げることにした。

 

 ここでの教訓は、中高年は「バイタルチェックを細目にしておくと、役に立つことがある」ということだ。まずはそこからで、それが基本。