日刊早坂ノボル新聞

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◎「お迎え」のあとの対策

◎「お迎え」のあとの対策

 私自身が経験した二つの出来事について、他の人の体験談を聞いている。

 その二つとは、

1)心停止中に何を見たか

2)「お迎え」に会った後に何が起きたか、になる。

 まず1)「心停止」を経験した人は、割合、沢山いて、私と同じ病棟にもあと二人が経験している。心臓の手術の内容によっては、本人の心臓を止め、人工心肺で術中の命を繋ぐから、これを受けた人も含まれる。正確には死んではいない筈だが、しかし、普通に心臓が止まった人と同じような物を見るようだ。

 こちらにはいくつかの共通のパターンがあり、その代表的なものは「自分自身を見ている」「トンネルを歩く」「川の手前に立つ」みたいなものになる。

 ここではその件を省略する。

 

 後者の2)「お迎えに会った」人については、家族の話としては幾つか聞いたが、本人から話を聞けたことはない。お迎えに会い、その後生きていたからその話が残るわけだが、その後半年か一年後には、再びそれが現れ、当人を連れ去るようだ。

 要は「お迎えに会い、一年以上、生きた人はいない」ということだ。

 私はレアなケースで、自分に対する「お迎え」に直接会い、その後五年以上生きている。

 その間、怖ろしいほど「あの世」が身近になったのだが、しかし、面と向かって「迎えに来た」と言われたことはない。ま、最初の時も言葉では言わなかったが、顔つきを見れば、それが「この世の者ではなく」「自分を連れて行こうとする」者だということは一瞬で分かる。

 こういうのは夢や幻の話ではない。「そんな気がした」のような次元でもない。

 

 私の場合は、心臓の術後に、ようやく体の器具が取れたが、頻繁に致死性の不整脈が起きていた頃のことだ。夕食後にベッドに座っていると、病室のドアを開けて、二人の男が入って来た。

 一人はジャケットを着てハンチイング帽を被っている。顔は昔の俳優のリー・バン・クリーフを思わせる狐顔だ。もう一人はやや体格の良い男でジャンパーを着ていた。

 あの顔つきの薄気味悪さと来たら、言葉では言い表せない。

 二人は私のベッドの前に立つと、最初に私のことをじっと見た。

 この時、「これはあの世から来た者で、私を連れ去ろうとしている」と確信したのだが、後になり思い出すと、この時の二人がガラスに映る幽霊たちのように、周囲が歪んで見えたからだった。男たちの体の周囲四五十㌢くらいが歪んでおり、背景が波打って見えた。

 私は「こっちに来るな」と叫んだが、どうにも体が動かせない。

 ただ二人を見ているだけだった。

 二人は私の方に手を伸ばし、捕まえようとしたのだが、私のベッドの枠のところでその手を止めた。

 何か障害物があり、先には進めぬらしい。

 これは印象だが、水族館にあるアクリル板のような敷居が立っていて、姿は見えても壁に突き当たるのだった。

 男たちは数回試していたが、どうしても手が届かぬと知ると、「ち」と舌打ちをして、再び病室のドアを開けて去って行った。

 「生きた心持ちがしない」というのはこのことだ。私は男たちの手がアクリル板に当たるのを見ていたが、「壁があるのはそこだけ」で、ベッドの横に回ると、そっち側には何もなかったからだ。

 あの透明な板は、「まだ死ぬべき時ではなかった」ことを指していたのかどうかは分からない。そんなのは生きている者が勝手に付けた意味だからだ。

 

 それから一年間は常に緊張して暮らした。もちろん、心臓の術後だから、努めて安静にしているわけだが、日々の暮らしの中で「またあの二人が来るのではないか」と怖れていた。

 遠縁に金太郎さんという人がいたが、その人にも「お迎えが来た」という話を聞いていた。金太郎さんは末期がんで、医師から「最後の帰宅」を許されたが、家の布団にいると、外から見知らぬ男がずんずんと家に上がり込んで来たそうだ。

 男は金太郎さんに近づくと、「今日はお前を連れて行く」と言った。

 しかし、金太郎さんが「俺はまだ行くわけにはいかない。今日は帰ってくれ」と言うと、男は背中を向けて家から出て行った。

 金太郎さんはそれから一年ほど生きて、この話を家族にした。

 このため、この話が残っているのだが、金太郎さんがお迎えの男とどんな話をしたのか、その詳細は知らぬ。たぶん、語らなかったのだろう。

 

 この話を聞いていたので、それが自分の身に降りかかった時には、すこぶる恐怖心を覚え、暗い気持ちで一年を過ごした。一年が過ぎたが、次のお迎えは来なかった。

 だが、それで安心できたかというと、まったくそんなことはなく、PTSDのような障害には苦しめられているし、日を追うごとに常識では理解しがたい出来事が増えて行く。

 「この状態で、何故生きていられるのだろう」と思うほどだ。

 ま、ひとつの解法は、「兆候を見逃すまい」としているところにあるとは思う。

 過敏なほど「あの世的な関与」を疑うわけだが、考え過ぎでも何でもない。たった一瞬の気の緩みがもたらすものには、やり直しが利かぬから当たり前だ。

 

 何とか、私と同じような体験をした人を探り当て、知恵を結集させたいものだ。

 そのことで、他の人にも「死期を遅らせる術」を提供できるかもしれぬ。

 今のところ分かっていることは、生命の危機が近づくと、「死の匂い」が出るかのように、幽霊たちが寄り集まって来ることだ。その幽霊たちは、自我を取り込んでなり替わることを目的とするから、なるべくその人に近い姿に化けて抱き付く。

 「同化」の最初のステップは、「真似をする」ことからなので、もし身の回りに「そっくりなひと」が姿を現したら、極めて危険な状況だと言える。

 この段階では「われ先に」と幽霊が寄り集まるので、気配はするし、姿も見る。写真には不可解な光や煙(霧)、人影が写るようになる。

 とりわけ重要なものは、先兵である「自分にそっくりな人影」だと思う。

 これは欧州の「ドッペルゲンガー」と似た存在だから、国や地域を超え、同じようなことが起きるのだろう。

 まずは早めにそういう者を発見し、「傍に来てはならない」と警告を与えることが肝要だ。

 

 慎重に手順を踏んで確かめると、「死ねば総てが終わる」わけではないことは明白だ。自分の眼で検証すれば、幾らでも事実が見つかる。まずはそこからではないかと思う。最初は「既存の頑なな考え方を捨てる」ところからで、これは死後の存在を否定する側、肯定する側の双方について言える。