日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎劇的な変化

劇的な変化

 先週、同じ助言をそれぞれ別の相手に三度した。

 いずれも五十台から六十台前半の相手だが、「最近、夜中に目が覚め、そのまま朝まで眠れない」と言う。

 この理由は三つある。

 ひとつ目は老化が原因だ。更年期を過ぎ、体が衰えて来ると、身体のバランスが崩れて、巡りが悪くなる。

 

 二つ目も同じで、体と心のバランスが崩れることによる。とりわけ定年退職の後は暮らし方が変わり、とかく不安になる。ひとは仕事をしていないとすぐに老いると言うが、まさにその通り。心から老いて行く。

 三つ目は、上記二つの変化に乗じて、別の人格に心を蝕まれるケースだ。要は「幽霊に乗られる」ということだが、常にマイナス思考を心に放り込まれる。

 二つ目までは医療だったり、運動だったりで改善されるが、三つ目は改善されない。頻繁に「このまま生きていても仕方がない」みたいな気持ちに襲われる。

 これを改善するにはごく簡単なやり方がある。

1)百均で小さい盃を買う。白いものだと仏壇みたいで気が滅入るから、普通の盃でよい。

2)寝る時に、枕元なり押し入れの上なりと、頭の近くに水を入れた盃を供える。

3)労いの言葉を掛ける。「これで休んでください」など何でもよい。

 たったこれだけで、熟睡出来るし、目覚めがまるで違う。

 「悲しい」とか「情けない」など否定的な考えが消えている。

 

 ま、「では俺もやってみよう」と思う人は僅かだ。二十人に一人くらいか。

 私だって、昔からこのことを知ってはいたが、実践するようになったのはごく最近だ。たかを括って信用しない。「そんなのあるわけねえだろ」。

 だが、数年来、「背中に女が貼り付いている」のを頻繁に画像で確かめるようになったし、目視でも時々見る。そこで「とりあえずは実際にやってみるか」と思うに至った。

 私など、この十年来、自分にまつわる好材料などひとつも無く、状況が悪化している。そもそも「死にかけ」の身で、いつ死んでもおかしくない障害者だ。

だが、「癒しの水」を供えるようになってからは、マイナス思考がきれいに無くなった。

 

 最初のうちは毎日やる必要があるが、これに慣れ、気持ちが軽くなったら、一日二日休んでも平気だ。

 ちなみに、「こんなのは効くわけがない」みたいな発想は、既に後ろの者が吹き込んでいる。

 

 これで改善されないようなら、もう一度体や心のバランスから見直すか、あるいはあの世的な次の手に進むことになる。

 1)晴れた日に、2)東向きのガラス窓に、3)午後二時から四時までの間に、4)自分の姿を映して、5)それを写真撮影すると、タイミングによっては状況がはっきり見えることがある。これは身の回りにいる幽霊が映ることがあるという意味だ。

 もちろん、繊細なTPOが要るから、確証を得るまでには慣れ(撮影回数)が必要だ。

 

 添付画像は最近の私への憑依事例だ。状況が分かりよいから、これまで幾度も紹介している。

 この時には、別の神社を出る時に「頭に蜘蛛の巣がかかった感触」と、その後に「右肩が重い」という自覚症状があった。単に「そう思った」「感じた」だけでなく、画像でもそのことが事実として確認出来た。

 私はこの手の画像を見慣れたので、女の青黒い顔の表情まで鮮明に見える。

 しかし、私に寄り掛かる「女」がまったく見えない人もいるらしい。

 「幽霊が人に寄り添う」のは、誰の身にもごく当たり前に起きることだ。

 幽霊に乗られたからと言って、怖れおののき、祈祷師や霊能者の許に走る必要はない。自力で解決するのが基本で、それは単純に、「心を改める」ことだけでなされる。まずは生活態度を振り返り、悪意が入り込めぬような生き方暮らし方を心掛ければよい。

 いきなりお経や祝詞を唱え、除霊をしようと言うのは、相手が乱暴そうだからという理由で殴りつけるのと同じことだ。それよりも、まずは「慰め、癒す」ことを優先すると、あっさりとスムーズに終息することが多い。

 排除するかどうかは、それを試みた後で良い。