日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎夢の話 第1K81夜 海神の娘を娶る

夢の話 第1K81夜 海神の娘を娶る

 一月二十八日の午前四時に観た夢です。

 

 我に返ると、俺は海の上を漂っていた。

 「そう言えば、昨夜、俺の乗る船が難破したんだったな」

 大洋を航海中に嵐に巻き込まれたのだが、珊瑚礁が水面下にあることに気付かず座礁してしまった。

 船はあっという間に木っ端微塵になり、俺は海に放り出されたのだった。

 海面に浮いていたマストに手が届いたから、俺は必死でそれに掴まり、溺れぬようにしていた。そのうち意識を失ったが、マストに体を結わえ付けていたので、溺れずに済んだらしい。

 既に太陽はほとんど真上にいる。午前十一時には達して居そうだ。

 

 「さて、これからどうしよう」

 そうは言っても、どうしようも出来るわけがない。

 俺が乗っていたのは、外洋で漁をする遠洋船だし、近くに陸地は無い。

 船が座礁した珊瑚礁も、どこに行ったことやら。ま、これがすぐ近くにあっても何の役にも立たない。

 「俺はこのままここで死ぬのか」

 海水温が割合高いが、それでもせいぜい二十六七度で、体温よりは下だ。それなら、何時かは低体温症になり心臓が止まる。

 もって一日だろうな。

 

 茫然と波に漂っていると、遠くの海水面にポツンと影が立っていた。

 その黒い点は次第にこっちに向かって近づいて来たのだが、よく見ると、それはひとの姿をしていた。

 「いやいやいや。そんな筈はない。人間は海の上を歩けぬからな」

 だが、確かにそれは人影だった。

 白いローブかガウンのようなものを身に着けた老人がゆっくりとこっちに向かって歩いて来る。

 程なく老人は俺の前に立った。

 「君はツイてるね。まだ生きている。他の皆は全員溺れ死んだよ」

 「全員が?」

 「ああ。二十七人全員だ。ま、そりゃそうだよ。あんな嵐ではね」

 じゃあ、俺はあの船の最後の生き残りだったか。

 「だが、俺だってもうすぐ終わりだ。こんな幻覚を見ているものな」

 水面を歩くのは、神さまか幽霊、それと幻覚しかない。ま、順当なら最後のヤツだ。

 すると、その爺さんが小さく微笑んだ。

 「外れだね。私は君の考えた最初の方だよ」

 「え。となると、神さまってことか?」

 「そう。私は海の神だよ。だから、こんな風に水面を歩くことが出来れば、一万㍍の深海に潜ったりするのも平気だ」

 「ちょっと信じ難いすね。こんな絶望的な状況でそんなことを言われても」

 「ま、そうだよね。でも君には良い知らせがあるから」

 「今さらながら、何ですか?」

 海神が頷く。

 「君次第では助けてやらんことも無い」

 「条件付きってことですか。でも、俺はもう何も持っていないですよ。命さえもはや殆ど残っていないもの」

 「ああ、大丈夫だよ。君を助けてあげる代わりに、後であることをやって欲しいのだ」

 来たか。「願いを叶えてやる代わりに」ってヤツだ。

 「それって、寓話とか昔話で出て来るパターンですよね。最後には大体がどんがらがっがあんと壊れる」

 「そうでもないよ。私が君に頼むのは、私の末娘を嫁に貰って欲しいということだもの。出来るだろ」

 「娘を嫁に」

 その言葉で刹那的に想像したのは、最初が「上半身が女性で下半身が魚の人魚」だった。

 だが、それなら死にかけの男にわざわざ「嫁に貰ってくれ」と頼むまでも無く、貰い手は沢山いるだろう。

 「もしかして、下半身は女だが、上半身が・・・」

 さすがに悍ましいぞ。半魚人ならな。

 「嫁」ということは、夜の営みも「あり」「やれ」ってことだ。

 瞼の無い魚の眼で見詰められても、ただ萎えるだけだ。

 

 「心配するな。見た目は人間と同じだし、十人並みの器量をしている」

 うわあ、その言い方ならやっぱり「裏もある」ってこった。

 ますますゲンナリする。

 「だが、俺に選択の余地はないのですね。承知しました。お嬢さんを嫁にします」

 海神は俺の返事を聞くと、手放しで喜んだ。

 それから、懐から扇子を出すと、手前に引くように扇いだ。

 すると、幾らもしないうちに、遠くに船が見えて来た。

 「あの船が真っ直ぐここにきて、君を発見するから、君はただ待っていると良い」

 海神がそれを言い残して去ろうとしたので、俺は慌てて引き留めた。

 「お嬢さんを嫁に貰うってのは?」

 「あ。待ってりゃいいよ。自分で行かせるから」

 海神はここで背中を向けたが、もう一度振り返った。

 「何かお土産を持たせてやろうか」

 海神が手を振ると、俺はびゅいーんと海上を数百メートルほど横滑りに移動して、昨夜、船が座礁した環礁のところに行き着いた。足が立つので、俺はその上に体を乗せた。

 すると、すぐ目の前に、縦横1㍍角の木箱(たぶん船箪笥)が口を開けて転がっていた。

 「この辺では、スペイン船が沢山座礁したから、サンゴ礁の合間に昔の金貨が落ちていると思うよ。お土産に拾っときな」

 客船が俺を見付け、船に上げてくれるまで、俺は一心に金貨を拾った。

 程なく俺はフェリーに拾われ、無事に家に帰り着くことが出来た。

 

 それから瞬く間にひと月が過ぎた。

 あの海神の件は、いかにも荒唐無稽な話だから、到底、他人に話せる内容ではない。

 俺はそのことを他言せずにいたが、時が経つと、あれが本当にあったことなのか、それとも海を漂っていた俺が抱いた単なる妄想なのか、次第にはっきりしなくなって来た。

 幸い、山ほどの金貨を持ち帰ったので、当分は何もせずとも暮らして行ける。

 俺は日々をただぼおっと海を眺めて暮らした。

 そんなある日のこと。いつものように二階のベランダで海を眺めていると、階下の玄関のチャイムが「ピンポーン」と鳴った。

 ドアを開くと、白いワンピースを着て、麦藁帽子を被った二十歳過ぎの娘が立っていた。

 肌が小麦色に焼けている。

 「私です」

 「は?」

 「お嫁さんになりに来ました」

 ここで、俺はあの時のことを総て思い出した。

 「あれは現実のことだったのか」

 娘はニコニコと笑っている。

 「入ってもいい?」

 俺は一瞬言葉に詰まったが、すぐに決断した。

 一度約束したことだし、とりあえず命を救って貰ったことは事実だ。

 あの後で考えたが、あの海神の力なら、俺たちが「遭難する前に救えた」と思う。

 だが、それもきっと、しぶとく生き残るやつを「選別する」つもりだったのかもしれん。

 

 娘を引き入れながら、俺は独り言のように呟いた。

 「海神の娘だから、半魚人みたいなヤツが来るのかと思っていたけど・・・」

 こんな可愛い娘なら、むしろラッキーな方ではないのか。

 娘は人間の住処が物珍しいらしく、部屋の中を見回している。

 中肉中背で、今時のタレントよりもよっぽど清楚で可愛らしい。

 俺は内心で「こういう展開って現実としてアリなのか?」と思った。

 「ねえ。君は見たところきれいで品の良いお嬢さんだ。結婚したい男は幾らでもいるだろうよ。でも、君のお父さんは『娘の貰い手が無い』と言っていた。それはどうしてなの?」

 俺の問いに娘が微笑む。左側の頬に笑窪が出来た。

 「やはりそう思います?もちろん、私にはほんの少し秘密があります」

 ピンと閃く。

 「機(はた)を織っているところを見ちゃいけないって類のこと?」

 「私は鳥ではありません」

 あ、この昔話を知ってたのか。ま、そもそも、鶴は猟師に助けられたが、俺はこの娘を助けちゃいない。むしろ、海神に助けられた代償として、この娘の夫になるのだ。借りは俺の方にある。

 間を置かず娘が話を続けた。

 「お願い事はたった一つです。夜中の十二時頃から四時頃までは一人にしてください。昔の言い方なら子丑の間です」

 「その間は会ってもいけないし、見てもダメってこと?」

 「そう。念のため私は鍵のかかる部屋に入ります」

 「それなら、やっぱり鶴の恩返しみたいな話じゃないか」

 「いえ。私の本性を隠すためではありません。私には心の病気があり、時々、夜中にヒステリーを起こすことがあります。私がこれまでお嫁に行けなかったのは、これがあったからです。もちろん、その時間帯だけで、普段は問題ありません。これは貴方を守るためのものです」

 それじゃあ、何だかコワいよな。

 そもそも海神の娘なんだし、何かの化身だってこともあり得る。

 タコとか、ウツボとか。

 ええい。考えぬようにしよう。

 「ところで、君の名前は何て言うの?」

 あまり芳しくない想像が先に立つから、話を替えてみた。

 「私はイソナです。人間の言葉ならね」

 ほらやっぱり、「人じゃない」と自分で言ってら。

 「ま、イサナよりはましか。イサナは鯨だからな」

 改めて眺め直して見たが、外見は、別段、人間と変わりない。

 もしこのルックスで、かつこんな穏やかな物腰なら、男としてはかなり幸運な方だろ。

 女房がきれいなのも「財産のうち、甲斐性のうち」ということだし。

 

 こうして二人の共同生活が始まった。

 夜中の数時間を除いては、別段、普通の夫婦と変わりない。

 元々、俺は鼾をかく方だし、誰と所帯を持ったとて、寝室は別にするつもりだったから、夜中、隣に妻が寝ていなくとも気にならない。むしろ、気兼ねなくのんびり眠れる。

 若く美人の新妻だし、最初のうちは朝昼セックスばかりしていた。深夜は禁止だから専ら明るいうちだ。

 すぐに妻が妊娠するかと思ったが、毎日励んでも、この妻は妊娠しなかった。

 「やはり異種間では子どもが作れぬのか?」と訊くと、「人間の体に慣れるまで時間が掛かる」と言う。

 やはり、今の姿は本当の姿ではないということだ。

 性生活以外のことはそれこそとんとん拍子にうまく行った。

 金貨で一億を超える資産が出来ていたから、俺はそれを元手に水産会社を作った。これが、船が漁に出る度に大豊漁で、瞬く間に所有船が大型化した。数年後には、遠洋船を買った。

 何時でもどこでも、いざ網を打つと、魚たちが自分の方から飛び込んでくれる。

 これも俺の舅が海神だってことかららしい。娘夫婦への計らいだな。

 

 俺の羽振りの良さが地域に広まり、この地方の新聞に俺のことが掲載された。

 船の難破から生還し、九死に一生を得た男が、数年で大金持ちになったのだから、話としては面白い。

 俺はテキトーに「難破は自分自身の命を見詰める機会になったから、生き方が変わった」などと記者に話したのだが、それをまたその新聞が面白おかしく尾ひれを付けた。

 ここでも海神の話はしなかったが、新聞は今の羽振りの良さや妻の美人ぶりについて詳細を記した。

 

 「好事魔多し」とはよく言ったもので、この記事が裏目に出たらしい。

 程なく強盗がやって来たのだ。

 強盗は三人組で、夜中の十二時前に、俺の邸宅の窓ガラスを壊して侵入して来た。

 男三人は俺の前に立つとこう言い放った。

 「やい。俺たちのことは想像がつくだろ。今流行りの押し込み強盗だ。俺は生まれついての不良だし、こっちのは金持ちの息子なのに半グレだ。そしてもう一人は闇バイトで来たヤツだからな」

 俺はここでもピンと来た。

 「そんな言わんでもいいことを言うとは、俺のことは最初から殺すつもりで来たな」

 「その通り。やらねば俺たちが指示役のルフィにやられてしまうからな。仕方がないんだよ」

 「言い訳をこくな。そんなのに情状酌量はねえぞ」

 「そんなら尚更、たんまりと金を貰わねばな。それとお前の美人妻を頂く。お前は俺たちと変わらぬくらいの年格好なのに何でも持っている。こういうのは許せない」

 俺はここでくつくつと笑った。

 「お前ね。今の俺は金持ちだから、パニックルームくらい作ってある。鍵は少々の爆弾を使っても開かない。それにこれだけ騒げば、その部屋の中にいる女房が気付くから、今頃は警察に連絡を入れているさ。家の中でも監視カメラが点いている」

 すると、三人が同時に少し顔を顰めた。

 「それなら、俺たちが取るのは、この階にある金とお前の命だけだな」

 そして、俺は男たちの手によりガムテープでぐるぐる巻きにされ、部屋の隅に転がされた。

 

 その時だった。

 妻が籠っているパニックルームの扉が急に開いた。

 男たちがはっとしてそっちを見た。

 「おお。自分から開けて来やがったぞ」

 俺はすかさず叫んだ。

 「扉を閉めて中に居ろ」

 だが、イソナはゆっくりと外に出て来た。

 「今の話は全部監視カメラで観ていました」

 これで俺の顔が歪んだ。

 「それなら、何で出て来るんだよ」

 俺の言葉には答えず、イソナはずんずんと前に出る。

 「ちょうど良かったわ」

 

 男たちは気を取り直したのか、イソナの周りを取り囲んだ。

 「よおし。これから俺たちはお前を輪姦するぞ」

 その言葉が終わらぬうちに、イソナの体の色が変わり始めた。

 瞬く間に全身が白い色に脱色して行く。

 ほんの数十秒後には、頭髪と顔色が雪のように真っ白になった。

 そして、変身する間に、イソナは服を総て脱ぎ捨てていた。

 かたちは女の体型だが、頭の上からつま先までが、一様に真っ白だ。そんな中で、ただの二箇所、両眼だけが赤く光っている。

 男たちがたじろぐ。

 「コイツ。化け物じゃないか」

 

 この時、俺はそれを眺めていて、海神のことを思い出していた。

 「イソナは海神の娘で、何かの化身だ。コイツによく似た海の生き物と言えば・・・」

 ここでイソナの上半身が、ぱっくりと二つに割れた。

 「やっぱり、クリオネだよな」

 ほんの少し前まで俺の妻だった巨大なクリオネは、ぱっくりと割れた口で強盗団を捕まえ、頭から食い尽くした。

 

 ことが終わると、イソナは人間の体に戻り、俺の体のガムテープを解いた。

 「わたし。妊娠しました」

 「え」

 助かった。腹の子の父親なら、俺のことを食ったりはしないだろ。クリオネのことは分らんけど。

 とりあえず、俺は「明日の夜からは、会社の船で寝よう」と思った。

 ここで覚醒。

 

 『鶴の恩返し』『魚の女房』のかたちを変えた筋だから、書き直して物語として使うわけにはいかなそうだ。夢はただの夢。