日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎総ての謎が解ける

令和元年に現れた「白衣の女」

◎総ての謎が解ける

 「扉を叩く音」のスレッドに、「深夜、玄関の扉を叩く音が聞こえる」件が再開したことを記したが、「何故家の門柱のところにいるのか」という疑問があった。

 既に「出入り自由」の筈で、私の後ろについて家の中にも入るようになっていた。このため、家の中でも黒い影や不自然な光を目撃する機会がやたら増えた。

 「カウンターの陰に女が立っている」ことは、その都度記して来たわけだが、それと共に、扉の音が聞こえなくなっていた。

 これは、もはや中に入っているのだから、外から「入れてくれ」とノックする必要がなかった、ということだ。

 今、家の外で音が響き出した理由を考えたが、これは要するに、「中に入れなくなっている」ことだと思う。

 

 最近生じた変化は、「白衣の女が身近なところに戻って来た」ことだ。

 これとたぶん、関係がある。

 そう思いつつ、今朝、妻子を送り出した後で仮眠を取ると、O町の某旅館の玄関の景色が夢に出て来た。私はベンチに座り、ガラスに映る私自身と背後の女を見ている。

 そよ風が吹き、周囲のざわめきも聞こえるが、私も女もじっとしたままだ。 

 この状態のままに時間くらい経過したようだ。

 そこで気が付いた。

 「今は私の背後にこの女性がいるから、他の者が近寄っては来られぬのだ」

 実際、四六時中、私には「私の左後ろに人が立っていて、左腕に手を添えている」という感触がある。(この「感触」がわかるようになったのは、昨年一年の苦闘の成果だ。)

 理屈は簡単だった。

 目覚めた後、あの「白衣の女」の周辺を調べるべく、令和元年一年間の画像を検索してみた。この年には一年を通じ、各所に姿を見せていたが、神社猫のトラがこの世を去るのと同時に、私の傍から居なくなった。

 それなら、この女性が何時頃から私の傍にいたのだろう。

 トラを手掛かりに探ってみると、この猫との出会いの最初の日の画像が残っていた。

 初めてこの神社を訪れた時、私は心臓の状態が悪く、平地を歩くので冴え、数十㍍ごとに足が止まった。駐車場から鳥居に進むのにも困難を覚えるほどだったが、外鳥居を潜ると、樹の根元に猫がうずくまっていた。

 それがトラだったが、その猫は私の顔を見ると、すぐに起き出して、私の前に立った。そして、神殿の階段に着くまで、私を先導した。画像は、それを見た家人が「面白いことが起きている」と後ろから撮影したものだ。

 その時に何かの縁を感じ、私は「百回この神社に参拝し、百回この猫に会うまでは死ぬまい」と思い、願を掛けた。

 今改めて、その時の画像を見ると、その後の経験で、空中に煙の筋が漂っているのが分かる。煙は筋を為し、その筋は神社の後ろの方に伸びている。この神社の後ろの古民家の上空に「穴」があり、そこが結節点になっていた。

 猫が私を先導した理由もわかる。私の五㍍ほど前に「白衣の女」が立っており、猫を導いていた。直接では伝わらぬから、女は猫を通じてメッセージを送ったのだ。

 その後、六年が経過し、この神社への参拝回数は六百回を超えた。

 今の状態は、平成二十七年のときよりもまだ数段よい。危機は幾度も来ているが、その都度乗り越えられているし、普通に歩ける。

 猫は令和二年に死んだが、それと同時に「白衣の女」も姿を消したのだった。

 

 その間、無防備の状態で、悪縁の「寄り憑き」に悩まされて来たわけだが、今は相棒が戻って来てくれた。

 「あの世」や「死」への怖れを感じなくなっているのは、すぐ傍に仲間であり相棒がいるからだと思う。

 そして、この状態があるから、無用な悪縁たちが私の傍に寄り憑けなくなっている。

 もちろん、そういう幽霊たちが「傍に近づこう」とするのは、「自分を救って欲しい」という気持ちによる。私の自我と同化し、合体すれば、現状の幽霊のままでいるよりも、はるかに楽になる。

 今はさらに「白衣の女」が傍にいるので、私たちを求めて手を伸ばして来る者は、今後むしろ増えると思う。

 

 ようやくPCのキーを叩ける状態になった。

 一日に打てる量はわずかなのだが、現状の体力に合わせて、逸る心を宥めつつ前進しようと思う。

 人事についても、「前進が可能」と信じられるようになったのは、十数年ぶりではないかと思う。少なくとも六七年前からは絶望の日々を送って来た。

 今は「燃え尽きる前の蝋燭の炎」の状態なのかもしれぬが、それはそれで構わぬと思う。

 今は「死の向こう側」にある世界が見える。