日刊早坂ノボル新聞

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◎古貨幣迷宮事件簿 「未勘銭その他」その1

◎古貨幣迷宮事件簿 「未勘銭その他」 その1

 締め括りまであと少し。何事も「最初の人」になるべきだが、存命中にコレクションを処分し切ってから死んでいく者はこれまで聞いたことがないから、たぶん、私が最初だ。もちろん、丸投げではなく、という条件が付く。

 多くの収集家は、己の行く末が見えても、コレクションを放そうとしない。愛着があるからだ。多くを残して去って行く。遺族は内訳が分からぬことが多いから、ニ三割の丸投げで放出することになる。

 もっとも、古貨幣を含め骨董品の価値の半分以上は「思い入れ」だから、五割だろうが三割だろうが、不当な扱いではない。欲しい人の「思い入れ」で値段が決まって行く。思い入れが無いのであれば、市場に出し、その「売れるかもしれぬ水準」と「売れるまでの見込み期間」に左右される。買い手が安全策をとるなら見える値段の三四割になる。

 二十年掛かって集めたものを、買った時の値段付近で処分しようとするなら、二十年以上掛かる。数か月なら、やはりそれなりだ。

 古銭を含め骨董は、「欲しい人を探す」方が難しい。その意味で知識を敷衍させたり、後進に情報を提供することを怠ると、「思い入れ」が生まれる余地がどんどん少なくなる。どんなに希少品でも、それを認識出来る人がいないなら「価値」は生まれない。

 難しいのは、対面的交流を避ける人が増えたことだ。集まりなどに出るのは、せいぜいオークションまでで、他の人と交流をしない。ネットがあるからある程度の情報収集が可能なのだが、「文字テキスト」と「画像」の情報には限界がある。

 とりわけ、業者やコレクター、または市場に出る前の状況については、従前は古物商で見聞きしたり、解体屋や買い出しを訪ねれば、あれこれ聞けたのだが、今は事実上、そのルートが存在しない。リサイクル屋さんは、昔の古物商のように「長っ尻」の客を受け入れる余裕はないし、店にそんなスペースもない。

 「古道具屋」は昭和には姿を消し始め、新生物のリサイクル屋にとってかわった。

 この新生物が良性なのか悪性なのかは知らぬが、蘊蓄を得られる場が消えたのは確かだ。これはネット収集家にとっての不幸だと思う。

 私はもはや収集家ではないので、「古銭会に出るべき」などとは言わない。道楽なんだし、好きなように進めばよい。ただ個人で進むのは、試行錯誤や回り道がやたら多いことは頭に入れて置く必要がある。

 私は岩手県内の町村の資料館のほとんどを見て回ったが、かなりの時間と労力を費やした。個人の郷土史家の家を回り、資料を閲覧させて貰ったりしたが、複写などをさせて貰えぬことの方が多い。その人も労力と時間、費用を費やしているのだから当たり前で、その場で見て、メモを取り覚えるしかない。図書館に入っていない資料の方が多いので、真面目に資料をあたり始めると、かたちの見えぬもの(情報)に費やす分が多くなる。「手の上の金屑」と「ネット情報」だけ見て、テキトーな解釈を展開した方がはるかに楽だ。今はメモも開けずにテキトーに記すが、やはり気分は楽だ。

  もちろん、それも「もう卒業するから」ということ。明日があるなら、他人が入り込めぬ領域まで検証する。

 

 と言うわけで、こだわりのあった未勘銭(まだ推察に至っていないもの)や、こだわりの内容の一部が画像の品になる。

その1)文久手の寛永通寶

 幾度か注意喚起すべく記事にしたが、まったく反応が返って来ないところを見ると、「誰も持っていない」か「盲点になり見ていない」ということだ。

 発見の経緯は省略。O氏の遺愛品の残り物を買い取ったが、文久銭の差しからこぼれた品だ。

 錫の配合が多く、密鋳銭ではあり得ない。錫は高価なので、これを増やすと費用がバカ高くなる。貨幣を玩賞品として眺めるのは現代の道楽者だけで、当時は「お金として使えるかどうか」「利益が出るかどうか」が最優先だ。

 実際、素材が柔らかくなるので、輪側の線条痕が擦れて見えなくなっている。かろうじて、Aでは横鑢の見える部分がある。薄いつくりなので、押し込みはあまり配慮されなかったのか、身切り位置が様々だ。薄手のペラペラのつくりなので、砂笵に押し込むも何もなかったろう。母銭を見てみたいが、尋常ならぬ薄さだろう。

 「古貨幣は背から見よ」の諺通り、背波は明和とも文政、安政とも異なる。

 これのみ見れば、誰でも文久銭の波だと思う筈だ。

 稟議段階では、あれこれの候補銭を比較する意図で、少なくともひと差ふた差の枚数を作るものだという。決定後、不要になった見本銭は後で通用銭の中に放り込んだのだろうと思う。

 昆和男氏が石巻削頭千無背濶縁を発見した時には、鉄銭をヌメリ取りに漬け、これを洗った後にシートの上にぶちまけたら、「なんだか変なのが一枚混じっていた」そうだ。この銭種は稟議段階で不採用になった銭だが、やはり通用銭を見本として幾枚か作っていた。

 時間がないので、続きは次回に。

 

注記)すぐに外出するので、今回も殴り書きだ。