


◎解放されてはいない
一週間くらい前に「トラの神社」に参拝したのだが、その時のセルフチェックでは、まったく異常が無かった。光の歪みすらまったく見えぬのは、何年振りか分からぬほどだ。
「もしかすると、当面は普通の生活を送れるという意味ではないか」
そう思ったので、その時のことについては特に記録も残さなかった。
再確認しようとしたが、生憎、ハードディスクがいきなり壊れてしまい、画像を取り出すことが出来なくなってしまった。修復できなければ、ここ五六年の画像が総てパアだ。PC本機に残った縮小後のものしか使えなくなる。
それでも、あの世対策を忘れ、人事に専念出来るならそれに越したことはない。
そのまま一生を終われるなら、もっと素晴らしい。どうせ行くところが決まっているなら、その前に自由な時間が欲しい。
もしかして、これまでの苦痛から解放されたのかも知れん。
だが、数日前から妙な気配が出ている。
悪意を囁く者がいる一方、この家の中に「母」がいるような気がする。
(「」付きなのは、母はもう亡くなっているからだ。)
母は私にプレッシャーを掛けぬよう、私の目に付かぬところにいるが、心情は音波と同じ「波」なので、ひたひたと伝わる。
母は私のことを案じて見守っているのだ。
ということは、私に何か問題や障害があるということでもある。
そのことに気付いたので、すぐに八幡さまに参拝することにした。
この日は快晴で、かつお昼過ぎだから、太陽は70度から80度くらいの角度になる。最も望ましい条件だ。
早速、社殿のガラス窓の前に行き、自分自身を撮影した。
思った通り、日向に立っているのに、私の周りが真っ暗だった。
目視では、背筋が寒くなるほど真っ暗だった。
ファインダの段階で「影」が分かったので、すぐに数枚連写した。
車に戻り、すぐに拡大すると、やはり来てら来てら。
もっとも不味いのは、「黒いひと」が真後ろにいることだ。
性別不明のこの黒い人影は、「お迎え」の中でも、火急を報せるヤツで、普通は程なく死ぬ者の背後に出る。医師や看護師には、死にゆく患者の背後にこれを見た者が幾人もいる。
これがそのタイプの「黒いひと」なら、私はあと一週間くらいの命だと思う。
既に私の体に腕を回しているので、もはや逃げられない。
この状態を見て、他の幽霊たちが「我も我も」と走り寄っている。
一方、望みが無いわけではない。
前にも、この手のヤツには抱き付かれたことがある。一番酷いのがアモンで、このバケモノ顔の悪魔も、鍵詰めのある手で私の胴体を掴んだ。
実際、体調が悪い時だったが、それでも死にはしなかった。もちろん、毎日のように、神社やお寺に参拝参詣して、厄除けをした。
また、二枚目の右側に、柱の影で半分以上隠れているが、着物(道着)姿の女性の姿が見える。これは袖から右手が見えているから、確認出来る人が多いと思う。
確証はないが、これまでの経緯から言って、私の相棒だと思う(白衣の巫女)。
この相棒が注視しているなら、パパっと連れ去られることはない。
この「白衣の巫女」の関心は、左側に出て来た少女二人(体)など、浮かばれずにいる者たちの方に注がれており、私は後回しになっている。
なら、今は「深刻な危機ではない」という意味だ。
だが、「黒いひと」が出たら、普通は死を避けられぬから、もう一度腹を括った方が良さそうだ。
結局、私は何事からも何物からも解放されてはいなかった。
ところで、このスレッドを前から見て来た人は、冒頭の「眼」が、O町の旅館で、ガラス窓に最初に出た「眼」と同じ光り方をしていることに気付くと思う。
あの世の者は、こころ(感情)だけの存在の筈だが、眼の光り方には、生きた者にあるような温かみがまったく感じられない。