日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎特に問題はない(656)

◎特に問題はない(656)

 昨年末より、トラの神社にあまり参拝しなくなったのは、セルフチェックの目的なら、最寄りの八幡さまでも大丈夫だと分かったことと、問題自体が少ないことによる。

 実際のチェックポイントっは、人影や煙玉などの現象ではなく、「光の歪み」を確認している。具体的にはな物理的な要因によらぬ歪みがあるかどうかという点だ。

 昨年までと違うのは、最近はこれがかなり少なくなっている。

 一方、気配の方は増えており、自分一人でいる筈なのに、廊下や別の部屋から物音が聞こえる。実際に物が落ちていることもある。

 

 最近はご供養にしていなかったので、この日はお寺に行くことにした。

 能仁寺でお焼香をし、ゆっくりと過ごすと、次第に心が落ち着いて来る。

 車には、赤外線カメラを常備することにしたので、何枚か撮影したが、さしたる問題は無し。

 ここから、トラの神社にも参拝したが、まったく異常が出ていなかった。

 お寺でお焼香をし、そこから神社へ向かう流れは、なかなか良い。

 古い神社では、焼香場を供えていたりするが、元々、入り口出口の関係なんだし、鳥居の傍に焼香場を設置し、そこで厄を落としてから、神域に入るという背うタイルにすれば、鳥居周りで幽霊を拾って帰るというケースが無くなると思う。

 酷い時には、日中の屋外にいるのに、自分の影が二つあったりするのだが、この日はそういうこともなく、異常らしい異常がない。

 

 今のところ、私自身にさしたる問題は無いが、油断は禁物だ。

 物音がしたり、声を聞くことについては、既に慣れた感があり、何とも思わなくなっている。麻痺しているのと同じ。

 一瞬の気の緩みを先方は待っている。

 このまま、何もない日々が一週間、ひと月と続いて行って欲しい。

 単なる妄想や取り越し苦労で済むなら、それに越したことはない。

 ま、この数年の経験から、「そんなに甘くない」ことは重々承知している。

 

 ちなみに、あの世系のセルフチェックには、「ガラスに映る光や影」と共に「自分の影」を確かめる方法が役に立つ。さりげなく異変があるかどうかを眺める習慣を持つと役に立つ。鏡には映り難いが、ガラスに映る景色の方は、幾らか光が分別されている。

 

追記1)あの世を遠く感じている人から見ると、まさに「変な宗教の人」のたわ言なのだが(私自身もそう思うw)、それは「あの世の者の声を聞き、姿を目視するまでの話」だ。

 死期が近づくと、それまでの常識ががたがたと崩れる。

 何か得体の知れぬ者が走り寄って来る感覚があるわけだが、それは同時に「それを遠ざけると死期も遠ざかる」という意味でもある。

 

追記2)最後から三枚目の画像では、私はカメラを両手で持っているのだが、それとは別に、胴体に回る腕がある。ま、これくらいは普通。

 別の画像で確認すると、やはり右側から手が回り、上には女の顔の上の部分がある。

 「傍に寄り憑いている」という感覚は正しかったようだ。

 ま、経験を積んだので、今は画像や音といった直接的な材料だけでなく、気配が分かるようになっている。

 割と分かりよい部類で、拡大して見ても影響のない画像だ。よく見ると女が見える筈だ。

 これくらいは、誰の身の上にも、ごく日常的に起きている。

 私の場合は、先方から見え易いし、傍に巫女もいるので、「助けて欲しい」と縋りつく者が後を絶たない。