日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎ひとまずは回避した

ひとまずは回避した

 予期していたが、やはり体調が悪化しているようで、とりわけ通院日には帰りがしんどい。そそくさと帰宅すると、あとは横になっている。そんな毎日だ。

 何も出来ぬと人事が詰まるし、それ以上に、絶望感に襲われる。

 病院では昼食が出るのだが、半人前で味の薄い食事にももはや慣れ、こっちを普通だと思うようになった。たまに外食すると、量も多いが、しょっぱ過ぎて閉口する。

 調子が悪い時には、酷い胸やけがして箸が止まる。この症状は胃や食道の不調ではないのを知っているので、ややゲンナリ

 歯磨きをする時に「オエッ」となる程度が強くなって来たので、肝(心臓)腎機能が低下している。

 

 ちなみに、朝の「オエッ」を強く感じる時には腎機能の不全のことがあるので要注意だ。クレアチニンが増えると吐き気を感じる。酷くなると、ブラシを見るだけで「オエッ」と来る。

 この時に気を付けるのはカリウムで、腎機能が落ちている時にはカリウムなどをうまく排出できない。そこに過剰摂取すると、カリウムが心臓を直撃する。

 若い学生が部活で過度の運動をした後に、ころっと死んでしまうことがあるが、これは概ね腎機能不全→カリウム障害のルートだ。昔は「ぽっくり病」と呼んだが、死なぬためには、まずはゆっくり休んで、穏やかな食事を摂る必要がある。

 さて、私自身についても、巡り合わせが悪く、腎機能が下がっている時に、低血圧症が出て・・・と想像したが、ま、アウトにならなければそれでよい。

 「なるほど」と思うのは、全身のめぐりが悪くなっている筈だということだ。体のどこかに機能不全症が出ると、たちまち煙玉が発生するから、体磁気などにもそれが現れていそうだ。

 そうなると、「黒いひと」みたいなヤツも、「あの世」以外の説明がつくかもしれん。「磁気などの発生状況が変わることで影が出来る」みたいな話だが、それが何故人の姿をしているのかについては説明できん。あるいはその人自身のシルエットか。

 

 「具合が良くないが、それでも今日明日中に、もしくは来週中に死ぬことはなくなった気がするなあ」

 こう思ったので、病院を出てから神社で確認することにした。

 すぐに車中で開いてみたが、やはり重大な阻害要因が見当たらなくなっていた。

 赤外線撮影をすると、色には関係なく熱の有無で明暗が分かれるが、前回は日差しの下なのに体の一部が黒くなっていた。

 今回は普通。

 煙が出ているわけだが、この煙は「幽界の霧」で、よく内部を除くと、あちこちに瞼が開いている。後に一体、左手にもう一体が立ち、左の女は私の肩に手を載せている。視覚というより、体感による。ただ、これは普通のことなので、「生き死に」には関わりない。日常の範囲内だ。

 

 こういうのは、この手の画像を五千枚と言わず見ているから判断出来るわけだが、他の人には「どこが違うのか」はまったく理解できないだろうと思う。

 ま、他人がどう思うかはどうでもよい。

 当人(私)は「今日明日のうちに自分が死ぬか」を測っているのであって、好奇心で動いているのではない。しくじったら今の人生は終わる。

 

 ちなみに、この日も病棟では「ベコベコ」と何かの治療器具が音を立てていた。病棟全体が集中治療室の中のよう。

 普通は具合が悪くなり、個室に移り、さらにそこから集中治療室に行くわけだが、ここは三段跳びだ。

 今年はお昼までに消える人が多いが、毎日のようにそれが起きると別に何とも思わなくなる。

 人間はどんなことにでも慣れてしまうし、慣れると無感動になる。

 ま、明日は我が身。もう私の先輩患者は二人しかいない。

 それでもま、私の打つ手立ては医療だけではないから、大人しくあの世に去ることはない。

 

追記)入棟後、数か月で姿を消す人が結構いるが、統計上の数値をまるで違う。透析開始後、五年生きている人はごく少数派だ。

 原因を考えてみたが、「死因」は「主たる死因」で分類するので、心臓など他の病気や高齢で腎治療を受けるようになった患者が死んだ時には、腎不全はあくまで従の病気になり、「主たる死因」にならないからのようだ。要は同じ病棟内に居ても、カテゴリーが違う。

 この病棟(四十床)に六年いるが、私の前後合わせて百人以上があの世に旅立っている。高血圧症や循環器系疾患の末路には、必ず腎不全になるので、肺疾患か悪性新生物で死なぬのなら、まずは「最後には腎臓病棟に来る」ということだ。

 ここは文字通りの「終末病棟」ということ。

 人工透析は月に三十万くらいかかるが(利用者ベースでは三~九万)、医師は「医療費は他の病気と変わりない」と言う。

 何が「変わりない」のかと言うと、「死ぬまでのトータルの費用」で、要はいざ透析を受けるようになったら、早期にこの世とおさらばということだ。

 だが、統計上は「開始後五年くらい生きる」勘定になっている。これは前述の通り、「死因」の定義による。

 当事者になり、裏(現実)を知るとさすがに戦慄するが、ま、周りを見れば一目瞭然で、新しい患者が入って来たかと思うと、すぐに別の患者と入れ替わる。