日刊早坂ノボル新聞

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◎病棟日誌3/9 だるさが取れぬ

病棟日誌3/9 だるさが取れぬ

 昨日あたりから何だかトラブルが多く、車を走行中に他の車が飛び出して来るわ、歩行者がフラフラと道の中央によれるわ、ヒヤッとする出来事が続く。

 かなりイライラしており、怒りっぽくなっているから、「もし今、煽って来るヤツがいれば、問答無用にコロしに行くだろうな」と思った。ついでに、そいつの免許証で住所を調べ、その日のうちに家族全員を・・・。

 と、妄想を抱いたところで、我に返る。

 自分の傍にアモンが立っていることを思い出した。

 「今のは俺ではなくアモンの心のうちだよな」

 てっきり外国に行き、戦争を起こしたり、体制を破壊する工作を行っていると思ったが。

 だが、二年前にアモンが予告した通り、あちこちで天変地異が起きたり、戦争が起きている。

 次はあの国をぐちゃぐちゃにする筈だが、一体何を企図していることやら。

 ま、アモンは実在の悪縁だが、コイツの言動は当方の妄想だとは思う。

 

 今は怒りを感じやすいのと同時に、左肩がやたら重い。

 理由が見当たらぬので、ようやく「ははあん」と気付く。

 「まだ全然収束していない」ということだ。

 もはや、次から次へということだが、それ以前に耐えられぬくらいの肩痛で気付けよな。「四十肩」でも「五十肩」でもなく、この場合は「あの世肩」だ。

 

 このところ、治療後の状態があまり良くなく、買い物も出来なかったのだが、この日は頑張って、帰路にスーパーに寄った。

 二階駐車場から店舗に下りようとすると、入り口のガラス戸に自分の姿が写った。

 すぐに違和感を覚えたので、スマホを出して撮影した。

 今、それを開けて見たところだが、想像した通りのことが起きていた。

 細かい箇所は、この画像では伝わらぬから省略するが、分かりやすいのは二枚目だ。私の体を透過して、背後の景色が映っている。

 「影が薄い」という表現があるが、「影」どころか存在が薄れている。

 

 ちなみに、「左肩が重い」のは「女」が乗っていたからだった。この日の私は黒いコートに黒いトレーナーを着ており、白く見える服は着ていない。

 

 ところで、この日の病院では最後の方の患者だった。

 食堂で遅い昼食を摂っていると、入り口の方で車椅子の患者と看護師が話をしているのが聞こえた。

 車椅子の患者は高齢の女性で、いつも声を掛けるとにこやかに返事をしてくれる。白髪で八十台の半ばだから、この女性を見る度に母を思い出す。

 その患者は看護師に「鎮痛剤をもっとください」と頼んでいた。だが、看護師は「あれは一日に三錠までしか飲めないのよ」と応じない。

 薬は量を越すと覿面に他のところがおかしくなるから仕方がないのだが、かなり弱っており苦しいのだろう。

 いくらか認知症気味らしく、子どものように嫌々をしていた。

 思わず箸が止まった。

 自分の母親と姿が重なり、胸が締め付けられる。

 既に多臓器不全症に行き着いているだろうし、本人もことさら延命を望んだりしないだろうが、苦痛に苛まれるのはかわいそうだ。

 苦痛を幾らか軽減するような「癒し」のやり方を学ぶ必要があると痛感した。

 「痛いの痛いの飛んでけ」

 

 以下は丸囲みの意味。

1)エレベーターには男が乗っている。通行霊だから影響はなし。画像を処理しトーンを強くすれば見えるが、触らぬ方がよい。

2)左手に何かを引っかけて持っているようだが、スマホ以外持ってはいない。
 白いのは煙で、首元にはマスクをした女がしがみついている。しばらく前の「膝丈スカートの女」ではないかと思う。

3)私自身が半透明に。
 車やフェンスが透けて見える。存在感が希薄になるのは、「あの世に近い」という意味だ。ま、女が乗っているから、すっかり消えても不思議ではない。

 左手の小指に、ひものようなものが引っ掛かっているが、どういう意味なのかが分からない。この時携えていたのはスマホだけ。

 

 総てが「気のせい」で思い過ごしなら結構なのだが、今は昼夜問わず、玄関のドアノブが「がちゃがちゃ」と音を立てる。昨日は掛けた筈の鍵が開いていた。

 昨年、色んなことが起き過ぎたので、今は大概のことには無感動になった。

 

追記)体調がいまひとつのこともあり、「夏目漱石シンドローム」が強くなっているようだ。死の淵に更新しているので、妄想が強くなり、それと同時に、実際に寄っても来る。

 この画像では、膝丈のスカートを穿いた女が私の右肩に寄り掛かっている。

 体感的には、最初はほんの「蜘蛛の糸が頭にかかった感触」だけなのだが、しばらくすると、右の首の後ろがずっしり重くなる。

 で、こんな風に写真にも写る。

 「ここに幽霊がいて」と指摘した通りの姿を「出して見せられる」のは、それだけ私があの世との関りが深く重いという意味だ。ま、この十年は常に自分の死期を見て暮らしている。

 病気のうち一割くらいは、あの世の者が関わる「障り」だ。(ま、滅多になく、ほとんどが思い込みのことが多い。)

 病気は原則として医療で治すのが筋だが、「寄り憑き」や「因縁」を取り除くことで、治ってしまう病気もあるということだ。