日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎またも手をかけられる

◎またも手をかけられる

 はるか後方にいた「亡者の群れ(百鬼夜行)」が、手が届く距離にまで迫ったのが令和元年頃だ。群れの先頭は既に「息のかかる程間近にいる」から、日常的に体を掴まれてしまう。

 うっかりすると、群れの中に取り込まれてしまうわけだが、そうなると、無限に彷徨う亡者の一員になり果ててしまう。

 この亡者の群れはテレビドラマの「ウォーキング・デッド」に出て来るゾンビとほとんど同じ。ゾンビの場合は、思考能力が無く、ひとを襲ってその肉を食らうわけだが、亡者の群れの方は魂を食らう。この場合の「食らう」は同化してひとつになるということになる。思考能力がないので、自ら抜け出すことが出来ず、一緒になり当てもなく彷徨う。

 以上は、総て「死にかけ」の者の観る妄想であり、心神耗弱の者のほざくたわ言だ。

 私が健康な者ならそう思うし、それでよい。

 だが、本人には総てが現実として降り掛かる。「心象が現実と同じ意味を持つ」のが「あの世」の基本的な特徴だ。心は総て外見に反映されるし、見たいものが現れる。

 それが「あの世(幽界)」だ。

 

 三日前から、私は原因不明の腰痛に悩まされている。腰を使った覚えは無く、重いものを持ち上げもいない。さらに、少しこれまた原因不明の下り腹だ。

 双方を考えると、大腸系の疾患、簡単に言えば大腸癌の可能性があるわけだが、癌だと便秘と下痢を繰り返すし、便秘の方が多い。ま、母は大腸がんで亡くなっているから可能性がある。

 だが、もうひとつの「私ならでは」の要因がある。

 寄り憑きがあれば、今の私はすぐにそれと分かるし、反応するようになっている。

 候補はふたつだが、「その両方」のこともあり得る。

 

 ひとまず通院の帰りに神社に行き、いつも通りのセルフチェックをした。

 ここから先はほとんどモノローグで、たぶん、私しか分からない筈だ。

 私は「ガラス面に霊が映りやすい」ことを発見してから、いつもガラスに映る自分の姿を撮影しているが、既に五千枚以上見ているので、採光によって本来映るべき姿と写らぬ筈のものが区別できる。

 こんな習練を積んでいるのは、たぶん、世界に私一人だと思うから、「他の者には分らない」と断言できる。

 この日の画像を見ると、判別は容易で、私の真後ろにクリーム色かベージュのコートかワンピースを着た女が貼り付いており、私の右手に手を添えている。

 これが亡者の先頭で、その後ろにも、たぶん、延々と亡者が連なり、ムカデ行列を為していると思う。これが重いので、腰が痛くなり腹を下す。

 

 この手のはさしたることではなく、日常的に誰の身にも起きている。

 もちろん、私のように、すぐ後ろが何万体の亡者の群れということはなく、一体から数十体までが普通だと思う。健康であれば、気分転換をするだけで離れるし、少し重ければ、神社でお祓いを受ければきれいになる。

 だが、私のように症状の重い者は、何万体の重さに加え、他力による祈祷は利かない。祈祷・お祓いによる除霊・浄霊は、念の力により霊を遠ざけるというものだが、これは一時的な効果しかない。いっとき離れても、またやって来る。

 私のように霊障の重い者は、何事も自分で解決するしか方法はない。

 

 この浄霊方法は、基本的に対話による。

 今回もお焼香をし、癒し水を供えた上で、とりあえず真後ろの女に語り掛けた。

 「あなたは長い間暗闇の中に閉じ込められていて、そこに私が通り掛かった。私からはいつも白い光が出ているからそれと分かったのでしょう。あなたは助けて欲しいから飛びついた。だが、私はあのたのことを助けることは出来ないし、あなたがそうやってしがみついていると、例えようもなく苦しいのです。このままの状態でいても、双方が苦しいだけなので、どうか私から離れて下さい。その代わり、あなたのためにお焼香をし、慰めることを心掛けますから」

 これが一本目だ。

 そして引き続きこう語った。

 「あなたのいた暗闇は、あなた自身が作ったものだ。心が暗くふさいでいるから周囲が暗くなる。まずあなたは自分が既に死んでいることを知るべきだ。あなたが亡くなり、あなたの家族や友人は例えようもなく悲しんだ。その人たちのことを思い出してください。あなたのお母さんやお父さん、あるいは子供たちがいたなら子供たちも、娘であり母親が安寧でいられることを願うことでしょう、あなたの身近なところにいた人たちのことを思い出しなさい。皆がきっとあなたに優しくし、亡くなったことを嘆いたことでしょう。繰り返しそのひとたちのことを思い出しください。そのことで心の闇が晴れ、今いるところから抜け出すことが出来ます」

 

 これが私なりのお経であり祝詞だ。

 これを記しながら、私自身にとっては理由なく、涙が零れた。

 涙は次々と滴り、膝を濡らした。

 私には涙をこぼす理由がないので、「これは自分自身の涙ではない」と分かる。

 私の言葉が後ろの女性に伝わったのだろうと思う。

 

 人間が霊を感知し難いように、霊の方からも生きた人間を認識し難い。

 同じ部屋の中にいるが衝立で仕切られた反対側にいるのと同じで、あまり意識せずに暮らせるようになっている。

 だが、私は神霊体で、既に死んでいる者の目に映りやすい。霊が生きている人間を感知するのは、自分と似た感情を持つ者だけなのだが、私はどの例からも見られるし、触られる。

 こういう事情があり、とにかく先んじて寄り憑きを発見し、お引き取り願うのが習慣になった。

 殆どの人は、実際に死んでみないとこの事実を理解するのは難しいと思うが、ごく少数ながら、私と同じ宿命を背負った者がいると思う。

 従前は「あの世」について、このブログに記すと、ほんの数秒で五人から十人が開けて見ていた。今は二十人くらいで、この人たちは、単に興味本位のホラー好きではないと思う。

 

 今日は私なりの浄霊方法について、割と丁寧に記したが、これは「お師匠さま」の指示によるものだ。私自身は人間嫌いで、他人と仲良くする気持ちなど無い。

 だが、生者と死者の双方の声が聴けるのは、わたしたちだけ。

 「言葉を伝えてくれ」と言われたので、今日は仲間たちのために記した。