日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎古貨幣迷宮事件簿 「四月盆回し出品の解説」(続)

◎古貨幣迷宮事件簿 「四月盆回し出品の解説」(続)

 予め記すが、朝の出がけに記すので一層書き殴りになる。ご了承を。

A19 元は白銅の薩摩天保 

 二十五年から三十年前にコイン店頭に出ていた時には、「真っ白」と「ほとんど白い」という風貌だったが、放置している間にほとんと普通品と同じになった。一応、まだ少し白っぽくは感じる。

 要は新しかったというだけだが、もちろん、不平を言うのではない。

 既に十五年以上前から珍品探査の気持ちは失われており、専ら製造工程にのみ関心が注がれるようになった。よってその頃からオークションなどには行かなくなった。

 何か勘違いしている人が多いが、骨董品は買い手市場だ。買い手が値段を決めるし、あるいは売り手の付けた値段を了承した上で買う。

 鑑定するのは買い手の側なので、全くの別品(偽物)であるケースを除いては、買い手の責任の方が大きい。逆に珍品を拾っても、「実はこれは良い品でした」と追い銭を払う者はいない。

 私も当時はこれが「よい」と思って買ったのだが、地金を勉強する良い機会になった。買った時の十五分の一以下に下がったが、その代わりの知見は得た。

 

A20 こみった鉄銭

 鉄銭を集めている者は少ないので、殆どの人には響かない。

 いずれも「これは」と思うところがあり手元に取り置いた品だ。

 冒頭の俯永写し、小字写しは、通常の鉄写しよりも小さい出来だ。どうやって作ったのかがひとつの謎。明和深川銭の通用銭を改造した母型で作成すると、もうひと回り大良い筈なのだが、小様銭になっている。背盛の小様銭には、きちんと対応する母銭があるわけだが、改造母から一段小さい品っが出来たのか、あるいは、銅銭写しが間に入っているのかのいずれかだと思うが、後者の可能性は小さい。

 浄法寺山内の母銭には、面(表)を研いだものと、面背両面を研いだものがあるのだが、私は長らくそれらを偽物だと思っていた。浄法寺銭は贋作者にとって都合の良い銭種で、大体は何でもある。だが、鉄銭に面研ぎ背盛が存在しているから、あの母銭の中には本物があったということだ。だが、一体何のために?

 材料の節約なら、こんな横着な手法は取らぬ筈だが、いまだに理屈が分からない。

 研いだことにより、面文の字面が大きく見える。

 釣り竿背盛は、背の盛時の上に湯走りが出て、まるで釣竿を振っているように見えるところから私が名付けた。痛恨なのは、ぴったりと一致する母銭を所有していたのに、鉄銭を拾ったのが、その母銭の売却の後だったことだ。母銭はみすぼらしい出来なので、つい軽視してしまった。母銭を所有している人が数人いると思うが、その人にとってはこの一品をどうしても入手したいと思う筈だ。母子が揃うと説得力がある。

 

A21吉田牛曳各種

 この銭種は江戸物も江戸物で、絵銭の中ではかなり古くからある銭種だ。意匠が好まれるようで、明治以後も作られているし、全体像を眺望するのは至難の業だ。手替わりを探すなら百種では収まるまい。

 武蔵の絵銭だった筈だが、他地域でも作られたのは「吉田」が吉語と解釈できる点による。縁起の良い文字と牛の配置で厭勝銭的意味合いが与えられる。

 全貌を知る由もないが、奥州の作かどうかは判断出来る。

 幾つかは南部領の写しだと思う。

 とりわけ、冒頭の「黒い地金」「不整輪」「山形(く)極印打」にはどきっとさせられる。寛永銭の「あの銭種」にそれと同じ風貌のものがあるからだ。

 山形は谷の部分員も食い込んでおり、打極したか、打極したものを写したかのいずれかだ。未解明だが、これ一枚で十年は楽しめる。

 下値はこの一枚の値段だと思う。

 他では、寛永銭南部写しと同じ製作のものや、面子銭と、面子銭ににた小様銭などがある。ちなみに、昔、生家の納戸に銭箱があり、その中に南部の面子銭が多数入っていた。その時の記憶によると、面子銭には背面の意匠が無いことが多い。

 郭があるとこれが打ち据えられた時に欠けやすくなってしまうからだと考えられる。実際に使用された品は輪が欠けているものが散見される。

 厚肉小様銭には裏郭のある赤い銭があるが、「もしかすると八戸銭では」と思っていた。まだ毛悦論は出ていないので、この設定だ。

 今回は「美味しいよ」と口元に匙で運んであげたが、これで気付く人が出るのかどうか。殆どの収集家は型分類だけを志向し、鋳銭工程や流通過程についてまったく想像しない。何故こんなに偏っているのかが不思議だ。

 

A22 天保銭不知品広郭二枚+オマケ一枚

 当百銭の藩鋳銭では、仙台銭が大きな謎だ。仙台藩は大藩で、お隣の盛岡藩尾二倍以上の規模を持つ大藩だった。

 その大藩がいざ贋金を作ろうと志した時に、あんな突飛な形態の仙台天保をごく少数枚(たぶん数万枚)程度作っただけで済ませただろうか。

 いや、どうせ銭の密造に足を踏み出すなら、百万枚単位で作成した筈だ。

 枚数の多寡に関わりなく、露見すれば首謀者は死罪になる可能性がある。

 贋金を作るなら千枚でも百万枚でも同じことだ。

 しかも、大藩だけあって、見分けがつかぬほど精巧な品が作れるはずだ。

 では、それは何?

 こういう経緯から、「たぶん、ごくありふれたように見える」当百銭の中に仙台天保の中核がある可能性がある。

 希少な仙台長足寶類を欲しがるのは、今の好事家・収集家だけで、製造側は「ごく普通に通用する現金」が欲しくて銭を密造したわけだ。

 これを考えると、「コレクターなど歴史に配慮しないうつけもの」であることが歴然だと思う。何が位付けだよ。ただの道楽者の集まりじゃねえか。

 だが、総て自分にも当て嵌まるから困ったものだ(反省猿)。収集は結局は年寄りの道楽に過ぎない。

 脱線したので、話を元に戻すと、たぶん、「未分類」もしくは「ありふれた大量銭種」の中に仙台天保の汎用銭が隠れている。それを探すのは、まずは製作の類似性、共通点からアプローチするのが唯一の手段だ。

 文字を読めぬ者が多かったとはいえ、読める者にとっては「本座銭と印象が違う」のは避けられねばならぬ。

 銭種はごく普通の広郭や長郭だろう。

 ということで探していたのは、仙台特有の砂で、「七々子状」のツブツブの肌だ。

 ①は仙台天保のツブツブによく似ているし、端の尖った極印は仙台天保のままだと思う。②はこれよりやや小さく、砂目や抜け方が改善されているようだ。

 実物は画像より灰色がかっているので、「色が違う」のが歴然だが、撮影するとやや赤く写る。配合が特殊なようだ。

 ③は比較用に掲示するもので、高知ではなく本座写しのようだ。これも本座よりも小さい品だが、前述二銭はこれより幾らか小さい。

 

 「不知品」だが「お前が評価しろ」だと困ると思う。

 前にNコインズOさんの店頭で拾った会津系不知品を出品したが、あれを買った時にOさんに「あなたが値段を付けてくれ」と言われた。

 頭の中では「会津の金だが銭譜には掲載されていないし、南部の可能性もある」と思ったのだが、もちろん、相場はない。会津かどうかも不確かだ。

 そこで「とりあえず不知銭で、会津広郭」と同等のスタートと見て、五千円と付けた。

 もちろん、化ける可能性があるのだが、それは可能性だ。

 場合によっては十倍二十倍になるかもしれぬ。

 だが、銭の分類の確立が出来ず、結局は「会津系の不知品」として手放すことになった。ごく最近の話だが、その時に「あなたが値段を決めろ」と言う言葉が心にのしかかった。

 Oさんは私を引き立ててくれた恩人だ。古貨幣の師匠であり、ビジネス面では仲間だった。

 結局は自分の言葉の責任を取り、売却時には「五千円」を値段とした。

 これは仁義建てによるもので、これでOさんに「何ら説明せず店頭で拾った」という負い目を解消することになった。

 なお、あれは会津の不知品ではなく「会津天保」の亜種だと思う。

 今回はそれと同じで逆の立場だ。

 だが、この手のは探すと割と見付けられるから値段は問題ではない。五百円千円でも当たり前だと思う。本意はそこではなく、既に調べている人に「見解を聞きたい」という意図だ。

 盆回しの目的は売買だけではなく、品評を交換するところにある。

 

 時間が来たので、ここまで。

 ちなみに、銭型分類よりも鋳銭工程論の方がはるかに面白いと思う。

 知恵を絞って、謎を解明て行く思考過程が推理小説と同じ。

 多い少ないに終始する議論は退屈だ。