日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎夢の話 第1132夜 息子がいない

夢の話 第1132夜 息子がいない
 5月2日の午前3時に観た夢です。

 居間に座ると、すぐに眠くなり、その場で肘枕でうたた寝をした。
 数十分ほど経った頃に瞼を開けると、目の前の床に二歳の息子が座っている。
 息子は何だか青白い表情で、すこぶる大人しい。
 刹那的に、自分が薬を飲み忘れ、卓上に置いたままだったことを思い出した。
 「不味い。あの薬を飲んだのか」
 心臓の薬はどれも強いものだから、あれを子どもが飲んだら悪影響がある。

 「お母さんを探さねば」
 女房が近くにいた筈だから、相談しよう。
 立ち上がって、隣りの部屋に行く。
 「お母さん」「お母さん」
 部屋を覗くが、誰もいない。
 ここでぼんやりと眠る前のことを思い出した。
 女房は「買い物に行くからちゃんと見ていてね」と言い残して出掛けたのだった。
 俺は仕事に専念していたから、赤ん坊のことはまるで分からない。女房がいないと話にならないのだ。

 ここで息子の様子を見るべく、居間に戻った。
 だが、さっきまでいた場所に息子の姿が無かった。
 「おい。※※はどこに行った」
 背筋にちりちりと電気が走る。
 こりゃ不味い。すぐに探さないと。

 緊急信号が出たので、現実世界で跳ね起き、周囲を見回した。
 息子の姿を探すが、俺がいるのはさっきまでいた部屋ではなかった。
 「ありゃ。こりゃおかしいぞ。俺の二歳の息子は」
 ここで脳味噌が覚醒した。
 「俺には二歳の息子はいないや。俺の息子は今や190㌢だわ」
 ここで完全に覚醒。

 時々、幼児の息子の夢を観るが、いつもこういう内容だ。
 今の息子はバカでかい青年だが、親の眼にはいつまでも幼児のままで映っている。

 死んだ後、暫くの間は自我が残るのだが、その時に見聞きする世界は、概ね自分自身が思い描いた世界になる。現実の世界に重なっているが、自分で創り出したものがそこに混じる。
 その意味では、あの世は主観的に構成される面がある。
 それを形成するのに関わっているのが心象風景で、過去の経験や感情の記憶が世界を再構築する。
 悪意に満ちた人生を送っていれば、相応の悪意が満ちた世界に放り込まれる。執着心があれば、その執着心がかたちを変えて現れる。その意味では、この世とあの世は二対で、因果がそこで成り立つ。肉体の死を折り返し地点として、プラスマイナスの片方の振れ幅に応じて、もう片方も反対側に振れる。
 これが因果応報で、善悪とは少し異なるものさしがある。

 二歳の息子に対し深い愛情を抱いていた時期があり、その時の危惧が夢で再現された。たぶん、これと同じことが死後にも起きる。成人して、独り立ちした息子の姿を確かめ、過去の記憶を相殺してから死ぬ必要がありそうだ。