日刊早坂ノボル新聞

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◎霊界通信 R060522 「心の波」

霊界通信 R060522 「心の波」
 声の物理的基盤が「音波」であるように、「こころ」のそれも波で出来ている。言わば「心波」と言うべきかもしれぬ。
 「音波」は眼に見えぬが、力学的エネルギーを持っている。「心波」も同様だ。また離れたところにいても、同じ波長を持つ者にそのエネルギーが伝わるところも、まったく同じだ。
 「霊感」の本質はまさにこの「心波」で、眼に見えず耳に聞こえなくとも、そこに何かがいると感じる。心が震えることでそれを知るわけだ。

 幽霊は眼も耳も持たぬわけだが、ひとの心の波を感じ取って、己に似た様子を感じると一目散に寄って来る。

 さて、体の重さが半減したが、まだかなりの数が後ろにいる。
 一月から三月には、一時、「殆ど空」の状態になったことがあるが、身も心も軽かった。それもお稚児さまに会った効果だろうと思う。しかし、いつまでもお稚児さまを頼るわけにもいかんので、これからは自分で下ろす努力をして、身を軽くしようと思う。

 22日には、いつも通り、八幡神社に参拝し、セルフチェックをした。
 ガラス窓の前に立つと、一目瞭然で、どういう状況下が分かった。これには心波の判断があり、他者には伝わらぬ話なので、末尾に付記する。(最初に書けば、それこそイカれた者のたわ言になってしまう。)
 数枚ほど撮影したが、目視で見たものよりも漠然としていた。
 目視で見える時には画像が弱く、見えぬ時の方が鮮明に写る。これは純粋に光学的な要因によるものだ。
 画像だけで点検すると、前後に二重映りしているので、私のガラス映像は二つ重なって見えることになる。
 結論を先に書くと、ガラスには「三つ目」が見えている。
 私自身の手足を特定して行くと、私の体とは言えぬものがあるのだが、よく見ると高齢女性の頭と、右腕の細い肘だ。
 当人的には興味深い事態だ。
 このバーサンは患者だが、たぶん、病院で拾った。
 稼働している病院には幽霊は殆どいないがゼロではないようだ。これが興味深い。
 ちなみに、時々書くように、病院やお墓にはほとんど幽霊が出ない。これはひとにそこを忌避する気持ちがあるためだ。死んでも長居したくない場所らしい。
 もちろん、打ち捨てられたり、壊されたりすると事情が変わる。眠っている者にちょっかいを出せば、目覚めるし怒る。

 さて、目視に近い状態の画像が「フラッシュなし」の画像だ。
 自分の眼で見た時には、左に黒い影がはっきり映っていた。
 私が移動すると、影も移動したので、「ついて来ている」のが歴然だった。長いスカートを穿いた女で、私より背が高い。
 ちなみに、午後二時に日光が創り出す影なら、私の足元に出来る。横ではない。

 目視はよく判断ミスを犯すが、どうやら気のせいではないようで、画像でも右側の柱が土台のところで湾曲している。
 手水場の柱が「曲がっている」ことで、景色を歪める何かがいることが分かる。
 ちなみに、景色を曲げているのは母子で、既に二十年も前からこの地域にいる。

 この場所では、女性の姿をまともに撮影したことが二度あるが、幾らか学習したのか、上手く隠れるようになった。
 黒い女のシルエットが見えたのは最初の一瞬で、その後はモザイク模様のように影だけになった。
 だが、そこにいるのは分かる。稲荷の一見以後、心の音叉の持つ守備範囲がかなり広くなったことによる。

 冒頭は明晰な説明だと思う。自分でも納得した。

今回の「黒い女」の人影は、画像最右の時によく似ている。