日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎病棟日誌R060601「鮭の頭」

病棟日誌R060601「鮭の頭」
「年齢当て」
 入り口で看護師のウエキさんに会った。
 私服だとすぐには誰か分からない。看護着を着ているという固定観念があるためだが、駅ですれ違ったら、さらに場も替わるので、まったく気付かぬと思う。
 ウエキさんは五十台だが、体型がスッキリしている。
 「体型が若いなあ」と感想を漏らしてしまったが、これもセクハラ?ババハラ?
 ウエキさんには「私の年齢は幾つでしょうか」という問題を出されていた。それを直接的な質問を一切せずに推定する。
 訊けるのは、「有名人の誰それを知っているか」だけ。
 それもそれが出来るのは体重計測で、その時にウエキさんに当たらぬと聞けぬから、意見がまとまるまで半年以上かかった。
 そのうち、「知っている」「知らない」の境目が分かるようになり、その境目が、たぶん、5歳から7歳くらいでテレビを観るようになった頃だ。それが5歳なのか、7歳なのかで随分考えさせられた。
 だが、ようやく結論が出て、前回、正式回答を出した。
 「ウエキさんは、53歳プラスマイナス1歳です。プラマイは誕生日によります」
 これが一発正解で、「53歳」だったらしい。
 ,ま、こういうのは得意な方だ。

「冷やし佐野ラーメン」
 先日、家人がスーパー(たぶんイ※※)から、「冷やし佐野ラーメン」を買って来た。
 佐野にそんなのがあったのかは疑問だ。
 そこで、佐野出身の看護師O君に確かめることにした。
 「佐野に冷やしラーメンなんてあるのかい?」
 すると、O君は「なくもないですが、一般的ではないですね」と答えた。
 「そうだろうな。えらく不味いもの」
 佐野ラーメンのスープは薄味だから、冷やしには合わない。
 実際に流行っているものではなく、たぶん、企画部門が拵えたものだ。

 ま、コンビニの韓流食品フェアよりはまし。
 前回の時には、店頭で韓国食材が全く売れず、多くが廃棄された筈だが、何故性懲りもなくセールを打つのか。
 コンビニは基本、商品は「店の買い取り」だから、売れようが売れまいが本部は傷まない。廃棄間際に値引きを許すチェーンも出て来たと思うが、原則は正価のまま期限が来れば廃棄だ。
 本部にはしくじりがない。だから、売れぬ見込みでもセールを打つわけだが、度を超すと店側が怒る。
 そういうことに配慮せずやるのは、役員とか、企画部が、どこかから何かを注入されているということだと思う(憶測だ)。でも、そこまでこだわる理由が他にはない。
 NHKは紅白に「まだデビューもしていない韓国歌手」を多数出演させるが、プロデューサーみたいな人が「若者を動員するため」とかナントカ言っていた。
 馬鹿な話だ。若者は紅白どころかテレビを観ない。当家の子どもたちは年間を通じただの1分もテレビの枚に座らない。よしんば、KぽP好きの若者が相手だとしても、「まだデビューしていない歌手」に何を歌わせる?とってつけた歌を歌わせたところで、受けるとは思えない。
 それを観て喜ぶのは、韓国の人で、実際、前回の紅白の後で、役員の一人が正直に「韓国には喜んでもらえた」と発言していた。
 この発想は、管理職、役員の誰かが「韓国とズブズブの関係」になければ、起こり得ない。関係のない者に一方的に便宜を図る者はいないからだ。
 NHKって、国民から料金を強制徴収している会社じゃなかったのか?
 よくこんなのが存続していられる。
 だが、異議を申し立てる政治家は僅か数人だ。大半が知らぬ顔をしている。
 ここで、構図がうっすら見える。
 国会議員も、どこかから「注入されている」んじゃあないのか。
 ま、この場合はNHKからだろうな。さもなくば、これだけ国民が不満に思い文句を言っているのに、だんまりを決め込むのは異常だ。
 日本人は中韓のことを「腐っている」と見なすが、実際には大差ないと思う。民度の低さや、あこぎなやり口を「さらけ出すか隠すか」だけの違いだ。

「鮭の頭」
 北海道出身のタマちゃんが来たので、鮭の話をした。
 「スーパーでは、鮭の切り身を山ほど売っている。それなら、それを捌いた後、頭が残る筈だが、あれはどうなっているんだろう」
 「たぶん、捨てるんでしょうね」
 勿体ない。鮭の頭は、アラ汁にすれば、抜群に美味い。
 割と身も付いているから、網で焼けば酒のつまみにもなる。
 一番良いのは、軽く下焼きをして、汁物にする方法だ。

 もし、実際に鮭の頭を廃棄処分にしているなら、それを全部引き取って、出汁取りに使えば、すごく濃いス-プが出来る。
 二日三日煮込めば、きっと透明でサッパリしたスープになるから、これを使ってラーメンを作れば、「鮭ラーメン」が作れる。
 自分が三十台なら、是非ともそういうのをやってみたかったと思う。

 父の生前には、実家に寄る度にその手の話をした。
 「あれが美味い」「これが美味い」「それを使って、こんな料理が出来る」
 父は八十を過ぎても、いつも新しい商売を考えていた。
 トコトン議論をして、実際のその料理を作って食べてみるところまでが、父子の会話だった。
 また父に会って、そんな話をしたい。