日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎一日のルーティン

一日のルーティン

 目が醒めたら、まず声に出して言うことはこれ。

 「今日出来ることを、今日のうちにひとつやり遂げよう」

 これなら当方のような「死に掛け」でも、自分を裏切らずに済む。「1200字の原稿を書こう」くらいなら、放棄せずに済む。明日のことを想定し始めると、まずは裏切られるし、自分が裏切る。起きられないかもしれぬし、明日は死んでいるかもしれん。

 

 二つ目は、ドアを通る時に、必ず画像の真言を唱えること。

 これは不動明王真言で中咒(ちゅうしゅ)と呼ばれるものだ。

<中咒>

 のうまく さんまんだ ばざらだん せんだ まかろしゃだ そわたや うんたらた かんまん

<意訳>

 総ての諸金剛に礼拝したてまつる。大忿怒尊よ。破砕したまえ。忿怒したまえ。 害障を破砕したまえ。カンマン(不動明王)さま。

 

 ちなみに、真言は一般的には「まじない言葉」だが、言葉そのものに力があるわけではなく、またご利益があるわけでもなく、心を強くするためのものだ。

 野球に例えるとバットと同じだ。バットは野球への参加のための用具で、これを使って、練習を積み重ねて初めてヒットを打てる。バットそのものが打つわけではなく、バットを持ったから、打席でヒットを打てるわけではない。たゆまぬ練習が基盤になる。

 きちんとバットの使い方を覚え、繰り返し練習を積み重ねて、初めてヒットを打てる。バットはそれ以上でもそれ以下でもない。

 

 困ったからと言って、普段から信じてもいないのに、突然唱え出しても何ひとつ効果はない。ただの棒だ。練習して試合に参加しない限り、ただの棒のままなので、これを持ったことで何か良いことも、また悪いことも起きない。

 ネットで、あの世について何やかや語っている者の話を聞くと、本当に呆れる。

 オメー、さては自分で霊に会ったことが一度もないな。話に聞くだけで、要は耳学問だけで語っている。

 

 現世利益と信仰は全く関係ない。信じれば功徳が得られると教える信仰は誤りだ。信じれば「困難に打ち勝つ強い心を持てるようになる」が正しい。