日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎我に返る

我に返る
 またPCが止まったので再立ち上げしたが、これに数十分かかる。ついでに点検してみたら、WIFIが止まっていたので、原因が分かった。WIFIの「しゃっくり」でシステム書き換えが詰まり、そこで停止するわけだ。やはり光回線に勝るものは無いようだ。

 もう一度立ち上がるのを待つ間、居間の床に座っていたが、ぼんやりと「何だか、もう生きていたくないなあ」と思った。
 旅行ひとつ出来ないから、父母の墓参りにすら行けない。
 「こんな暮らしは面白くないよな」
 ここで我に返る。

 イケネ。今の当方は既に体の半分近くがガラスに映らない。
 後ろの景色が透けて見えてしまう状態だ。
 そうなると、今みたいなマイナス思考は「当方自身の考えではない」可能性がある。
 そう言えば「ご神刀斬り」もやっていなかった。
 慌てて二階に上がり、木工用小刀で周りの空気を斬った。
 幽霊に物質的基盤(霧のようなもの)があると分かっているので、金属で断つ行為は有効だ。人間が刀で切られると傷つくように幽霊もかなり不快らしい。気体のような状態だけに、元に戻れるわけだが、時間が取れる。繰り返していると、やっぱりやられる方は嫌だと思う。基本は人間の感覚と同じだ。

 たったこれだけで自己を回復する。
 さっき「生きていたくない」と思ったのは何なのか。
 どうせ余生で、放置しても程なくあの世に入る。
 幽霊は感情だけの存在で、五感のように常時、自己を再確認する手立てを持っていない。このため、人の心に取り憑いて中に入り込み、自我を統一することで延命を図る。
 この場合の「延命」とは、自我・自意識を強化することだ。
 その時、自分のこだわりがもっとも大切なので、なるべく自分とよく似た者の心に寄って来る。

 当方みたいに目視確認出来る者はすぐにそれと分かるが、「自己の再確認」の方法を持たぬ人なら、「生きていたくない」という感情に負けてしまうかもしれぬ。
 一度騙されたと思って、ホームセンターで作業刀を買い、神棚に上げ毎日お供えをして「自分と家族を守ってくれ」と祈願するとよい。これにかかる費用はたった五六百円だ。
 もし厭世観に襲われたら、その刀で自分の肩から腰までの「周囲の空気」を切るとよい。
 文言は自分なりに「俺から離れろ」でも「寄り憑くな」でも何でもよい。自分の言葉で意志を「口に出して言う」ことが重要だ。
 相手は人格を持つ存在(感情だけだが)なので、基本的に人に対するように接することが肝心だ。特別な文言(真言)は不要だし、読経も不要。

 ついでだが、ネットには訳の分からないことを言う者が沢山いる。
 「般若心経を唱えると、逆に霊が寄って来る」
 「柏手を叩くと、逆に霊が寄って来る」
 あの世について何も知らない者の言い草だ。たぶん、幽霊と対峙したことが無く、聞きかじりを言っている。
 読経や柏手は、分かりやすい例えで言えば、竹刀と同じだ。
 ルールがあり、その中で使用するものだし、試合をして初めて使える道具になる。
 「」事例はこう言い替えられる。
 「竹刀を素振りすると、逆に敵がやって来る」
 風が吹くと・・・桶屋が、の関係よりナンセンスだ。
 竹刀はそもそも竹を括った棒に過ぎず、相手が本身(真剣)や銃を持って来れば敵わない。
 もちろん、剣道に熟達していれば、とんでもない武器にもなり得る。
 要は「持つ人の姿勢や習熟度で意味や価値が変わる」ということだ。竹刀自体に力は無いし、何か特別な効果をもたらすわけではない。こんなのは子どもでも分かる。

 ちなみに、幽霊は「撥音を嫌う」が、生きた者でも金属の「カーン」「キーン」と鳴る音や、「ばちん」「ドカン」という破裂音は嫌いだ。黒板をカリカリと掻き立てる音を好きな者は少ない。これは幽霊も同じだから、「いきなり間近に迫られた時」には、金属をかき鳴らしたり、手を叩くのはある程度有効だ。
 ハッと動きを止めるくらいの効果は生じるが、あくまでその一瞬の抑止力に過ぎない。
 感情だけで動くものと言えば「狂人」が想像しやすいわけだが、もし狂人が暴れている時に、傍でただお経を唱えていたら、ほぼ刺される。「とりあえず距離を置く」のが正解だ。 

 生きている者でも、とかくすぐ感情的になる者、情動的な性向のある者は扱いにくい。理性で納得させられぬからだが、幽霊もそれと同じ状態だ。

 これが分かっていても、「もう生きていたくない」と思うのは、老いが着実に忍び寄り、体が弱っていることによる。

 

追記1)吸血鬼だったか悪魔だったかは忘れたが、そいつには「鏡に映らない」という特徴がある。作り話なのだが、「ガラス窓に映らない」「水面に映らない」みたいな経験的知識から醸成された話だと思う。鏡は全反射に近いかたちで光を跳ね返すが、ガラスや水は光を二分する。

追記2)大原則を記すのを忘れていた。それは「死者に敬意を示せ」ということ。

 怖ろしい考えを持ち、酷いことをする人間がいるが、それは総ての人間ではない。それと同様に、相手を「怖ろしい者」として固定的に捉えると、そう見なされた者は腹を立てる。

 縁も所縁もない者をいきなり「貧乏人」と蔑んだら、帰り道に刺されるか、子供を誘拐される。きちんと相手の立場を尊重することが大切だ。

 これは自称霊能者でも欠いていることがある。ま、自分を「霊能者」と認識する時点でお里が知れる。