◎狭山の「異世界」探訪
長く椅子に座っており、脚が参って来たので、散歩に出掛けることにした。
どこに行こうか考えたが、近所に「異世界」があるので、そこに行くことにした。
一時期、ネットで話題になったが、「ある人が子どもの頃に、空き瓶を探しに森に入ったら、とても現代とは思われぬ集落に入り込んだ」という話だ。
大体のロケーション(位置)を示してあったが、そこは私の住む場所の近くだった。1キロもない。
確かに田畑の中にうっそうと茂った森がある。
まだ午前中で、万が一繋がったとしても、滅多な事態にはならない。ごく普通の田園であり、森だと思う。
ま、好奇心で行動し「ミイラ」になっては堪らんから、スマホは持っていなないことにした。電子機器は先方から見ると手掛かりになり足掛かりになる。いわゆるスポットとか事故物件でスマホやラジオを出すのは駄目だ。連れて帰ったりする。
実際に歩いてみたが、思っていたより遠かった。
普段は車で通っていたから、すぐ近くに感じたのだが、歩くと1キロ以上あった。線路があり、これを越えるには信号か通路を通らねばならぬが、これがかなり先だった。
森の周りはフェンスで囲われているが、いずれかの学園の所有地になっているらしい。一帯が自然観察園みたいな区画になり、保護のため中には入れぬようになっている。
森を分断するように道路が走っているが、道の左側の方は、たぶん、農家の敷地で、細道はあるが私有地なので入り難い。
要するに、両側とも足を踏み込みにくい環境になっていた。
位置的には、森のかなり奥だから、フェンスを乗り越えて長く立ち入らねばならない。もちろん、そういうことはしない。
ネットの話が真実だったとすると、子どもたちは偶然、「穴(結節点)」を通って、あちら側に行ったのだろう。
そういうのは「あの世(幽界)」と同じところだ。
死んで入ると「あの世(幽界)」で、生きたまま入ると「異世界」になる。そこは「主観が思い描いたものが現実となって現れる世界」だ。その者の心の中が外界に反映される。
いずれも「この世(現実世界)」に重なって存在しているが、普段は交わらず、接することは無い。
交わらぬ限りにおいては、ごく普通の日常がある。
「穴(結節点)」にはTPOがあって、そこに行けば必ずあるというものではない。その意味では「スポット」はない。
その部屋が鹿児にひとが不審死した「事故物件」であっても、接点を持たぬ者には何の影響もない。実際、何も起きない。場所ではなくアンテナを持つかどうか、音叉が共鳴するかどうかということ。耳を持たぬ場合、音は聞こえない(例え話)。
これまで幾つか分かっていることは、「昼夜とも二時から三時半の間」に「穴」が開きやすい。
他には「ひと」だ。あの世の者は感情だけの存在で、感情は波の性質を持つので、音叉のように共鳴しやすい人とそうでない人がいる。また、記録に残すためには、装置(録音や録画)にも工夫が必要だ。
私は色んなところで「声」をよく聞くので、注意していたが、別段何も聞こえなかった。ごく普通の田畑の中の森だった。
ただ研究施設の近くに女性が立っていたが、画像には入っていなかった。カメラを向けたからそれを避けたのだろうか。
一度「視線」を感じたので、その位置を確認したが、はっきりとした異変は写っていなかった。
深夜の二時過ぎに、フェンスを越えて侵入すれば、もう少し色んなことが分かると思うが、ほぼ犯罪になる。
また、一人でそんなことをするほど、うつけ者ではない。
何も起きぬ可能性の方が高いのだが、たぶん、他の人よりは起きやすいし、いざ繋がれば、もはや戻っては来られなくなる。
やはり一度死んだことがあり、幾度となく傍に行っているから、私はあの世界に馴染みやすい。
脚があまり良くないので、正直キツかった。
やるべきことが山ほどあるが、午後は昼寝をした。と言うより、疲れて眠り込んだ。