◎病棟日誌 R060907 「へえ、そうなんだ」
いまだ体調がイマイチだが、ようやく吐き気が収まって来た。日に何度もゲロっていたのでは体力が削がれる。
ま、昨夜、歯を磨きに洗面所に行ったら、風呂場にしっかり「女」が立っていた。見ないようにしたが、体半分が壁の陰から出ている。幽霊だわ。
「おい。ここは俺の家だからな。許しなく上がり込むなよ」
こういう時にきっちり撮影してしまえば良いのだが、気配が異様なので、そこまで気が回らない。
上衣が白いので、先日の「白衣の女」だと思う。
狭山市の「異世界」の中の施設の近くで同じ姿の女を見掛けたが、それと同じ者ではない気がする。その時より前から、既に寄り添っていた。
道を歩く時に、路上に出る「自分の影が多い」ことには気付いていたが、その時から。
白衣を着ている者であれば、病院関係者には山ほどいるので、そっち系かもしれん。
このテーマから脱線したが、これももう少し時間がかかりそう。
風呂場に幽霊に立たれるなど、「生活怪談」そのものだわ。
この日の治療が終わり、帰宅しようとすると、病棟の出口を出たところで、後ろから介護士のバーサンが追い駆けて来た。
「今日は暑いよ。車のドアをバタバタさせると気温が下がるらしいよ。昨日テレビで観た」
その方法は前から知っている。でも、親切に追い御かけて教えてくれているのだから、付き合わんとな。
「へえ、そうなんだあ」と、普段の三倍の声で応じた。
気を配ってくれてどうもありがとね。
後楽園のビールの売り子からタレントになった女性(名前失念)がいるが、概ね「ひな壇タレント」で、番組では十数人の「賑やかし」を担っていた。だが、この子はいつも前のやり取りに対し、「へえ、そうなんだあ」と大きく頷いていた。
当方は大体、前でのやり取りではなく、脇とか後ろの方の人の振る舞いを見ているが、この子のスタンスは変わらず、「自分の役割をわきまえて、それに徹している」と分かった。感動的なほどだった。
思慮の浅い女優が「照明係の気持ちが分からない」と言い放ったことがあるが、その照明係が的確に自分を照らしてくれぬと女優は光れない。そういう役割を務めてくれる人がいてこそ、前(の自分)が引き立つ。ま、その女優はまだ十台だったろうから、周囲のことがまだ何も見えない段階だ。まだおこちゃまだ。
いずれ「十年後にはその世界に自分がいるかどうかは疑わしい」と気付くと思う。照明係の人はその時には別の女優を照らしている。女優が初々しいのは三十までで、その先美を保てる者は少ない。それを補い、助けてくれるのが照明係だぞ。
普段、バーサンとあれこれやり取りがあるから、気遣ってくれるわけだな。もはや仕事だけではないわけだ。
入り口付近には、ほとんど意識のないジーサン患者がいたが、先週とは違う人だった。入院病棟から来る人は、もはや最期の日々で、回復することは無い。最後に行き着くのが肺や腎臓の疾患で、そこが終着駅。若い人には遠い世界だが、必ず皆がそこに行く。
病院の出口に、患者のアラ四十女子が座って、送迎バスを待っていた。久しぶりに会ったが、つい先ほどバーサンで考えさせられたばかり。
やはり普段より大きな音量で声を掛けた。
「おお。珍しいな。元気で暮らしてたか?」
「ま、何とかやってます」
ポイントはここだ。
三倍の声で、「そりゃ良かったね。何も起きぬのが俺たちにとって望ましいことだよね」と応じた。
「良かったね」は相手の心に響く。
こういうのを若い頃から弁えて、きちんと実践していれば、人間関係がスムーズに運んでいただろうと思う。
ま、そんなのは無理だ。当方は偏屈だもの。思いやるのも数人だけで、あとは知らん。当方には決定的に時間が足りないわけで、普通の人の1/3もない。減らすなら最初に社交だ。
追記)ちなみに、風呂場の女はこんな感じに立った。
時々、台所の柱の陰に立たれるので、今ではだいぶ慣れたが、今回は割と姿が鮮明だったので、少し緊張した。いつもは殆ど影だけだ。
ホラー映画なみの状況だが、つくづく「人間はどんな状況でも、回数を重ねると慣れてしまう」と思う。
もちろん、視線が合うとかなり気持ち悪いが、なるべく顔を向けぬようにすればよい。ま、眼を背けていても、この女の方がじっとこっちを見詰めているのは分かる。
声に出して「それ以上傍に来るなよ」と言ったりするので、周りに人がいて、当方の様子を見れば「イカれた奴」と思うことだろう。当人以外には見えないことの方が多い。