◎病棟日誌 R060910 バンカラ女子
治療の終りにエレベーターの前に立っていると栄養士のババさんがやって来た。
ババさんは花巻出身で盛岡の女子高に通っていた。
「ねえねえ。こないだ盛岡に行ったら」
この時、当方はトイレに行きたくてプルプルしていた。
何せ五時間もベッドに寝たままだ。起きてすぐトイレに行こうと思うが、病棟のトイレは障害者用のがひとつしかない。
誰かが入っていると、引き返してロビーまで行かねばならん。
それなら最初からロビーのトイレを使うよな。
そこで着替えをせずに、とりあえずエレベーターの前に立ったわけだ。
「おたくの出身校の応援団がいました」
「ボロボロのこ汚い連中?」
「そう。それがね。その中に女子もいたんです」
「ああ。応援団の中に女子がいることは聞いたことがあります。まさか女子までボロボロ?」
「そうでした(W)」
「今や昭和どころか平成でもない。隔世の感があるのにかたちだけ昔を真似るのはどんなもんだろう」
こんなのは形骸化の極みだと騒ぐ奴がいた方が、むしろ伝統を守るってことのような気がする。
だが、そんなのは当事者以外が指図することではなく、自分たちが自分たちの意思で決めることだ。
若者なんだもの、好きなことをやれ。
ま、ジジイはジジイらしく、小言を言うが、これもこっちの好き好きだわ。
高校生の時に英語のオヤマ先生(確か)が変わり者で、授業中に「明治時代の英語のテスト」を見せたり、「キング牧師のスピーチ」を聞かせたりした。
授業とも受験とも全然関係ない。
ちなみに、旧制中学の英語の水準は「今と変わらない」。
構文や単語は結構難しいのを使っていた。当方はきッと赤点だわ。
大学に入り、英会話講師のブレイクウェイって先生の授業を受けたが、ある時この先生がキング牧師のスピーチのテープを流し、「この人を知っているか?」と学生に訊いた。
当方は聞いたことがあるので、「マーチン・ルーサー・キングの、ううう」と答えた。「ううう」は「牧師」が分からなかったってこと。「ファーザー」は「神父」で、神父と牧師は全然違う。神父は童貞だが、牧師は奥さんを持てる。
周りの同級生はこのスピーチを聞いたことが無かった風情だった。当たり前だ。受験校ではそんな寄り道はしない。
もちろん、以上は自慢じゃない。それがキング牧師のスピーチだとは知っていたが、内容なんかよく知らなかったから、自慢にならない。
有名な「私には夢がある」ってとこだけ。
さて、ジジイなりのたわ言はこれ。
「バンカラ装束を真似るより、精神を学べよな」
図書館に行けば先輩方の資料があれこれある。たまにはそれを見ろ。
もう少し若かったら、高校に行き、「石川一(啄木)がどんなに酷いヤツだったか」の話をしてやったのに。
コイツは給料を貰うと、すぐに神楽坂に行き芸者をあげてどんちゃん。
先輩のそういうところだけは、しっかり踏襲したわ。
でもま、若者は自由に生きれば良し。
かたや、ジジイの仕事は「小言」であり、「ごんぼを掘る」ことだ。「人格者」っぽい大人のことは、嫌味を言いつつ蹴ることにしている。
「分かったようなことをいうなよ」
もちろん、当方はジジイよりも若いヤツの方が余計に嫌いだ。うんざりする。