◎霊界通信 パターンが変わる
どうにも体が重いので、水曜日に高麗神社に行った。やはりここが当方の原点だ。
駐車場から神殿に向かう時には、泥田の中を歩く感じ。重くて堪らない。
だが、これも体調不良によるものではないことも承知している。
十五は連れて歩ていると思う。
神殿のガラス窓の前に立つと、やはりゾロっと立っていた。
老若男女揃い踏みだわ。
だが、こうやって目視するときには、写真には写らぬことが多い。これも仕掛けがよく分からない。
波長の問題か、光学的な問題なのか。
デジカメが電池切れだったので、スマホで撮影した。
このせいで、画質が粗いが、当方の右腕が膨れているのは歴然だった。
六月から九月の間は、よく右腕が膨れる。
これは日光の照射角の兼ね合いだと思う。太陽の位置が高い季節だ。
2枚目の画像の右端の方にゴ六人がぼーっと立っていたのだが、やはり写ってはいなかった。
別に目視したからどうか、画像に残ったかは、さしたる問題ではない。
幽霊は「心だけの存在」なので、見えたかどうかはどうでもよい。感情は「波」と同じ効果を持つので、「そこからどういう波が出ているのか」が重要だ。
今傍にいるのは、ただ「助けてほしい」だけ。
それは白衣の女も同じだと思う。
それなら、お寺でのご供養を再開して、順次、進むべき方向に向け送り出してやろうと思う。
二十年くらいの漫画に「僕の右腕には妖怪が宿っている」みたいな設定の話があったが、当方のはアンテナのような働きをするようだ。
従前とパターンが変わったのは、目視する機会の方が多くなったこと。その代わりなのか、画像には残り難くなったと思う。