日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎夢の話 第1111夜 神社

◎夢の話 第1111夜 神社
 29日の午前5時に観た夢です。

 我に返ると、神社の境内に立っていた。
 「ここはお袋の神社だな」
 頻繁に夢に観る場所だが、実家の裏山に神社があり、その境内の外れに母専用の菜園がある。母はその畑で果物や野菜を育てていた。スモモや甜瓜とかを時々採りに来た。
 もちろん、夢の中だけの話で、現実には実家の裏山に神社はない。だが、同じ場所の夢を幾度となく観る。
 私は眠りの最後に観る夢を総て記憶したまま起床する。忘れることがないので、夢の記憶が何百と溜まって行く。

 ここで周りを見渡すと、境内は荒れ果てており雑草が生い茂っていた。
 「お袋が死んで、手入れをする者がいなくなったからだな」
 神社の中だって埃塗れだろう。
 振り返って神殿を眺めるが、そこで気付いた。
 「お袋の神社のかたちは俺の家のとそっくりだな」

 俺の家には神社がある。もちろん、これも夢の中の話だが、夢の中に出て来る「自分の家」には必ずどこかに神社がある。家の中に神殿が設置してあるのだ。
 ここで今回も自分が夢の中にいることを自覚した。
 「自分がいる建物は身体の象徴であることが多い。体の中に心がある。その意識が夢に反映されるからそうなる」
 人生で幾度か命に係わる大病を経験したが、その直前には、必ず「家が壊れる」夢を観た。
 二十台の終わりに心停止を経験したのだが、その数日前には、インドの石造りの建物が崩れる夢を観た。石の柱ががらがらと崩れ、押し潰されそうになる。絶体絶命の危機なのだが、私は石柱をひょいひょいと避け、瓦礫の雨から逃れた。
 「崩れる建物の中にいる」夢を観るのは、最大の凶兆だと言われるが、主に体調面のことを指す。

 ここで自分の家の中に社があるが、それと「母の神社」が同じもので、さらにそれは「祖父の神社」とも同じつくりだと気づいた。母方の祖父は繰り返し夢に出ては、「お前には祖先の遺した財産がある。いずれこれを使うように」と告げる。
 それが「祖父の神社」の梁の上で、そこには木箱があり、その中にはトレードダラー(貿易用銀貨)が七八千枚ほど入っていた。
 「お袋は生前、『神棚に先祖の遺産があるから、お前が継承するように』と言っていたな」
 妙に共通点がある。
 母が亡くなった時に、兄を通じて母の生家にその話を伝えた。
 「神棚を点検してみるといいですよ」
 母の生家は、築百五十年は経っている旧家で、常居には百人以上が座れる。このため昭和時代には、地域の冠婚葬祭はいつもそこを借りて行われた。

 「祖父の神社」「母の神社」「自分の神社」が酷似しているわけだが、実は同じものではないのか。
 要は、神社はあの世の意思や意向を伝えるための窓口かもしれんということだ。
 それなら「先祖の遺した財産」とは、具体的な物ではないのかもしれん。神に繋がる精神性なのかも。

 「それを説くには、この神社をよりよく知ることが必要だ。それなら、まずこの境内をきれいにすることから始めよう」
 ここで私は願をかけるおkとにした。
 これからこの境内の雑草を刈り、きれいに整えよう。その後で神社の内部を清掃し、あの世の者たちが心地よく過ごせるように整える。
 総ては夢の世界の話だから、これからは意図して、この夢を観る必要がある。
 これはこれまで考えたことのない方向性だ。「夢を百パーセント記憶したまま目覚める」はあくまで受け手の視点だが、「この夢を観る」「そこで何をする」というのは、その逆になる。

 私の余命はあと半年。正確には、たぶん、その先ひと月から数か月あると思うが、たうbん能動的にふるまうコットは出来なくなっている。その間に環境を整え、神の声を聴く。
 幽霊の声なら散々聴いて来たわけだが、さらに進めば、この世とあの世の真実に近づけると思う。
 ここで覚醒。頭の中が澄んでいる。 

 

追記)凶夢の代表が「自分のいる建物が壊れる夢」で、重病になったり、経営する会社が傾くことを示唆するもの。通常、ひと月かふた月のうちにそれが起きる。

 人生で幾度かこの夢を観たが、その都度、生死にかかわるような病気をしたり、会社を閉めたりした。

 この中でも、最も不味いのは「建物(瓦礫)の下敷きになる」夢だ。

 夢の中で私は、倒れて来る柱を避けて、ひょいひょいと逃れられたから死なずに済んだと思う。

 夢を観てからそれが現実になるまで、時間差が少しあるから、この予知夢を観たら、すぐに病院に駆け込んだり、経営に見切りをつけて生産に入ったりした方が被害が少なくなる。