日刊早坂ノボル新聞

日々のよしなしごとを記しています。

◎病棟日誌 R061003 脚の上に

◎病棟日誌 R061003 脚の上に
 病棟の入口近くには、ベッドふたつ分の空きスペースがある。これは入院患者がベッドごと運ばれて来て、そこで治療を受けるためのスペースだ。
 既に入院しており、多臓器不全症で腎不全に達しているから、余命はもうわずか。実際、その位置の患者の顔触れは毎週異なる。
 長患いの最期には、心肺の疾患で闘病生活を終えるが、その多くはこの病棟に来る。腎不全は「最後まで頑張った」という、おつりの病気だ。

 この日は、その位置にいる患者が幾度も呼び出しボタンを押した。その都度、看護師が来るが、高齢の患者で話が要領を得ない。
 四度目にボタンを押したときに、ようやく要件が分かった。
 その患者はこう言った。
 「私の脚の上に乗っているものを避けてくれませんか。重くて堪らないから」
 これに対応したのは三十台の女性看護師。
 「何も乗ってませんよ」
 「寝られんから、それを取ってくれよ」
 これを聞いて、周囲の患者がさあっと退いた。

 当方もその事態の意味を知っている。
 「それって、もう明後日くらいにはあの世に行く人の症状だよな」
 こんなのはこの病棟の患者であれば誰でも知っている。
 死が間近になった患者はは体の感覚がおかしくなる。
 そんな患者の中には、重石を「人だ」と認識する者も居る。
 「俺の脚の上に座っているヤツにどくように言ってくれ」
 患者の中にはそんな風に「自分の上に老人が座っている」と感じる者も居る。
 そうなると、重石はその患者にとって「お迎え」の意味を持つ。
 おそらく体感認知のズレでそういう風に感じるのだと思うが、もしかすると、実際に老人が乗っているかもしれん。
 間にカーテンがなければ、確かめることが出来ると思うが、実際にその「老人」を目にしたら。さぞ嫌な気分になるだろう。
 間仕切りがあって良かったと思う。

 この症状が出たら、その患者の余命は二三日だ。
 このケースでは、死期の先送りは無さそうだが、入口の位置からまた通院患者用のベッドに戻った患者も一人いる。

 さて、長く入院するときの心得は次のようなこと。
 「なるべく大部屋に入り、病室の入口と窓の真ん中くらいのベッドを選ぶ」
 今は患者がカーテンで仕切られているから、近所付き合いの煩わしさはない。
 入口付近にはより重篤な患者が入るから、もし「お迎え」が入って来た時に、自分より先にそっちの患者に目が行く。
 一方、窓際には逃れるスペースが舞く、入院病棟は上の階だから、窓の外には逃げられない。
 個室もこれと同じで、「お迎え」から逃れ難くなる。

 脚が重くて根が覚めたら、そこにジーサンが座っている。
 そのジーサンは、ベッド脇に足を垂らして、横向きで座っている筈だ。
 死期の迫った者の体感症状だと思われるが、これが出たら終わり。そこから先は近親者に別れを告げる時間になる。

 ちなみに、当方の実体験では、「お迎え」らしき二人組は、病室のドアを開けて、ごく自然に中に入って来た。
 ごく普通の姿をしているのだが、気配が凄まじく、ひと目で「この世の者ではない」と分かった。
 あとは連れて行かれぬように無我夢中で対応した。

 

追記)◎必ず兆しがある
 幼稚園から社会人に至るまでの全範囲で、同期の訃報が届くようになった。
 ま、65歳を過ぎると、生残率の遷急点を越えるので、亡くなる人が増える。
 脳出血など急病で亡くなる人がいるが、気付かなかっただけで、病気には必ず兆しがある。
 ただほとんどの場合、気付かずに見過ごす。
 未病の段階では「存在しないもの」で、「存在しないもの」を意識しろと言われても無理だ。
 だが、ほんの少し気を留めていれば、死なずに済むことがある。
 ま、自分により近い境遇の人、肉親などの経験は参考になるから、発病経験を聞いておくと役に立つ。
 当方は若い頃に時々叔父の家に遊びに行ったが、叔父は自分の心臓病について、初期症状をこと細かに説明した。
 これが毎度2時間3時間に及ぶので、正直、閉口したのだが、幾度も繰り返し聞かされると頭に残る。
 最初に心筋梗塞になった時には、「これだ」と気づき、自分で救急病院に行った。これは叔父の知識があったせいだ。
 だが、後で考えると、発病よりはるかに前から兆候が出ていた。血圧などは毎日朝夕測っていたから、これだけでも異変に気づく筈だが、「一時的なもの」とみなし何もしなかった。
 下が百を超えていれば、とっくの昔に病気だわ。
 だが、軌跡は通り過ぎた後でないと分からない。これが難点だ。
 経験すると、先を見越して行動することが出来るようになる。
 で、ごく初期症状の段階だと、殆ど治療が必要がないくらいに見えるが、そこで進行を止めることが出来る。

 もう一つ役に立つのは、「あの世観察」だが、こっちは人により向き不向きがある。
 死期が迫ると、やたら幽霊が寄り憑くようになるから、自分の周りの気配を知ることは、自分の状態を知ることに同じ。
 やたら肩とか腰に触られるようになったら、それはもちろん、良い兆候ではない。
 ま、ひとつ一つを理解するには何年もかかるから、「使者に敬意を示す」ことだけを心掛ければよい。